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エストレヤ

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6年前、ワーナーブラザーズのヒューマンコメディ映画 『最高の人生の見つけ方』が上映された。
ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンが、人生の終末を間近にした二人のジジイを共演していた。
半年ほど前から、この映画のテーマが気になりだした。

余命6ヶ月を宣告された ふたりの老人、勤勉実直な自動車修理工 カーター(モーガン・フリーマン)と、大金持ちの豪腕実業家エドワード(ジャック・ニコルソン)。
生い立ちのまったく違うふたりは、病院の一室で出会い、一枚の “棺おけリスト(バケットリスト)”から、ふたりで 「生きること」と向き合う人生最後の盟友となる。

死ぬまでにやっておきたい “棺おけリスト”に 「見ず知らずの人に親切にする」、「泣くほど笑う」、「マスタングの運転」…カーターは書く。
それに エドワードが、「スカイダイビング」、「ライオン狩り」、「世界一の美女にキスする」…と付け加えていく。

現実に余命6ヶ月を言い渡されたジジイではない。
だが よくよく考えれば、余命6ヶ月の宣告なんか 特別なものじゃぁない訳で、人間だれだって、生まれたときから余命約80年。
そう考えれば、誰だって、長い短いの違いだけで、カーターやエドワードみたいなジジイなわけで…

年齢的にもカーターやエドワードに近づいたわたしは、まことに幸運としか言いようはないのだが、‘この世にし残したこと’だらけ、ではない。
達観して人生を生きている人間では もちろんないが、まぁこんなもんだろう と、半分以上はあきらめで、そう思っている。

あの映画に刺激されて、あえて挙げるとすれば 「バイクで北海道のまっすぐな道を突っ走る」ことだった。
この感情が、最近とみに高まってきた。
「バイクで東北の被災地をめぐってみたい」、いまは その思いのほうが勝っている。

カミナリ族という言葉がはやった時代に青春を過ごした男子生徒の多くが、不良という決め付け語で 親からオートバイを禁じられた。
彼らの多くにとって バイクへの憧れは一種の腫れ物のようなもので、社会人になるころには ライダーの夢はケロッと置き去られてしまう。
わたしも、その一人だった。

昭和40年4月に自動車免許を取ったわたしの免許証には、「大自二」が自動的に付されている。
ちょうど1年後に免許習得した家内の免許証には、これがない。
たぶん この間で、法改正されたのだろう。

いまさら大型自動二輪免許をとる努力は億劫だが、いまの免許で 「ナナハン」も、その気になれば「ハーレー」だって乗れるのだ。
そう考えると、このままペーパードライバーで終えるのが癪になってきた。
映画 『最高の…』も言っていた、人生を悔いなく楽しく生きるのに 遅すぎることなど決してない、と。
このあたりから、バイク乗り奮闘記がはじまる。


息子の知人が、バイク修理販売業をしている。
まず、そこに相談を持ちかけた。
免許はあるんだが一度も乗ったことがないんです というわたしは、頭のてっぺんから足のつま先まで なめるように観察されてから、こうアドバイスを受けた。
おいくつですか。
ぎりぎりですね。
70歳を過ぎると、急激に動体視力が落ちますから。
いきなり400っちゃ無理でしょう。
夢を持てるように、高速道路を走れる250ccから始められたらどうです?
まず、乗る練習ですね。
気まずくなって、それ以上は聞き出せなかった。

三ヶ所の民間自動車教習所をたずねた。
四輪のペーパードライバーの教習コースはあるのだが、どの教習所にも二輪のはない。
どうしてもというのであれば 「大自二」の免許をいったん廃棄して、400cc以下の二輪車が乗れる 「普通自動二輪免許取得コース」を選んでください、という。
アホくさい。
結局、伏見区羽束師にある京都府交通安全協会の自動車練習場に出向いて、ここで自動二輪ペーパードライバー向けのコースを見つけた。
ただし、練習時間は平日及び第1と第3土曜の午後3時からと4時からの2コースのみ、それも原則予約制。

ちょっと情熱が冷めかけたが、息子の一言で前に進めた。
免許をもってるんだから、公道で練習すりゃいいやんか、と。
バイクを買うならカワサキ と決めていたのだが、ごく近所にカワサキ専門店がある。
バイク記事が気になっていたこともあるのだが、たまたま 「カワサキ250ccエストレヤ」1月20日リニューアル発売の記事が目に留まった。
ご近所が一番ええでぇとの 息子のアドバイスに押されて、ごく近くのカワサキ専門店J-WORKSをたずねてみた。

ここからは ‘乗った船’で話はスイスイ進み、エストレヤ Special Edition を朝晩なでまわしたり跨って発進停止を繰り返したり、という次第。
バイクに詳しい人からすれば、バカみたいな話であろうが…


さて、映画 『最高の人生の見つけ方』のなかで、バケットリストのすべてをなし終え、したいと思っていたことが叶った エドワードとカーターは、でもそれは人生を満ち足りたものにするために必要なものじゃないんだ、と気づく。
いや、境遇も性格もまるで違うふたりがめぐり合えたこと、そのことですでに半分以上の ‘し残したこと’はやり終えたんだと、彼らは気づいている。
人生の中で一番大事なのは、家族や友人や隣人との関係だ。
それが、すべて。
その関係を大切にすることができれば、すでに最高の人生を見つけているんだ。
映画 『最高の人生の見つけ方』は、そう語っていたように思う。
それが、この映画のテーマだったに違いない。


いま わたしは、バイクに夢中になっている。
バイクに夢中になっている自分を、嫌いじゃぁない。
でも それ以上に、うれしいことがある。

ごく近所に親身になってバイク購入を手ほどきする隣人がいてくれたこと、おじいちゃんだいじょうぶ?と気遣ってくれる孫たち、公道デビューはもっと先にしてやと諌める妻や娘、置もんバイクで終わってもええやんと言ってくれる実質パトロンの息子、おとうさん若いわぁと励ましてくれる嫁や婿、しょっちゅう電話でライディング上達への発破をかけてくれる友人たち…

最高の人生の見つけ方は 自分の残りの人生の仕上げ方だとするなら、その方向は もう見えている。
エストレヤは、そこへ向かう 愛しいひとつの手段に過ぎない。
映画 『最高の…』も言っている、残された時間が長くても短くても 最高の人生を見つけるのは 間違いなくあなた自身なのだから、と。