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大阪

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「東京育ちの京都案内」 という本を見て、ちょっと違うんちゃう、とケチをつけたくなる “京都人” も多いだろう。
東京の老舗蕎麦屋の主が著した 「うどんの秘密」 を読んで、そーかなー、と小首をかしげる “うどん大好き関西人”も多いだろう。
でも、 「そういう見方もあったのか」 と、新鮮な思いを引き出してくれる場面もあるのではなかろうか。

大阪をほとんど知らない私が、大阪をちょっとだけ語らせてもらいます。

昭和20年代終り頃に、父の会社が梅田に営業所を出した。
しかし、大阪の玄人商売に あえなく打ち負かされて、5年ほどで営業所を畳んでしまった。
子供であった私には、そんなことはどうでもよく、母が土産に持って帰ってくれる 「エーワンベーカリー」 のシュークリームが食べたくて、祖母が教えてくれた “待ち人来る” 呪文 『まつと、しき、かば、いまかえりこん』 をなんべんも唱えて、そんな願いを叶えてくれる河馬がいるのかなーと思いながら、大阪からの母の帰りを姉たちと待った。

ちなみに、この呪文の出処が、百人一首・在原行平の句『立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む』 であることを、ずっとのち 高校生になって知った。

たまに父が、私たち姉弟三人を 天茶(天ぷら茶漬け)を食べに連れて行ってくれた。
それがどの辺りだったか、たぶん曽根崎警察署近くだったと うっすら記憶する。
あんな美味いものは食べたことがなかった。
子供心に、大阪は美味しい食べ物がとにかく沢山あるところ、と思っていた。

ずっと下がって、社会人になってからの大阪との関わりは、仕事で出向いて行くという関係にとどまり、興味ある場所をスポット的に訪れることはあっても、何かを感じ取りたいといった気持ちで 大阪の街を訪ねることはなかった。

「三都物語」 というキャッチフレーズが流行ったときも、「商業都市・大阪」という ごくありきたりのイメージで捉え、ことさら深く考えずに 流していたように思う。
ただ、大阪で行き交う見知らぬ人の ちょっとしたしぐさや物言いから、 大阪には 京都弁で言う “かまい” の人が多いなと感じていた。

余談だが、このキャッチフレーズ 「三都物語」 を、私はたいへん気に入っている。
言うまでもなく、三都とは 京都、大阪、神戸を指すのだが、それぞれが独自の良さを持って なおかつ お互いに刺激し合い 持ちつ持たれつ という関係、そういった意味合いをまことに綺麗に表現したコピーだと思う。

“かまい” に戻ろう。

“かまい” とは、一口に言えば「おせっかい屋」のことだが、もうちょっと複雑なニュアンスが含まれている。
兄弟愛というと 堅苦しいが、放っておけずについつい世話を焼くといった 極めて “情”の深い 「動き」 なのだ。

全部が全部ではもちろんないが、例えば 具体的にいうと、デパートで孫を抱いてエレベーターを待っているとする。 一緒にエレベーターを待っていた年配の方。
京都では少し離れて 孫の顔ににっこり微笑んでくれるが、そこまでだ。
ところが大阪、特にミナミでは、孫に頬擦りせんばかりに近寄って、目がかわいい だの、 ちょっと鼻が空向いている だの、まるで ごく親しい近所の子に接するように話し掛けてくれる。

この “かまい” の情景と 「商業都市・大阪」 との関係を、スカッと解き明かしてくれる本を読んだ。
五木寛之著 『日本人のこころ』(講談社刊) という単行本である。

東京を代表する通りと言えば 銀座だが、大阪を代表する通りは やはり 「御堂筋」だろう。
御堂筋は、「お西さん」本願寺派の 「北御堂」 と、「お東さん」 大谷派の 「南御堂」 を結ぶ 道幅43メートルの大通りである。
大阪人の無意識の宗教心は、この 「御堂筋」 に象徴されると言うのだ。
大阪は 「宗教都市」 だと、著者はいうのである。私は、この考えにおおいに納得する。

能登地震のニュースを見て感じたものと同じ感慨を、ついこの間の中越沖地震のニュースで流れる 柏崎市の被害者のお年よりに抱いた。
一人合点かもしれないが、500年以上も前に蓮如上人の説いた教えが、震災という困難に遭遇したお年よりたちの 疲れ果てた中にも穏やかで上品な顔にあらわれているように思えてならない。
拝みたくなるような気高さを感じるのだ。

大阪城の下に、蓮如上人が築いた石山本願寺が埋もれている。
蓮如は、「士農工商」 で表される もっとも低い層の商人にも、「商人は商いをもせよ」 との御文を与えた。
商人に、「武士道」 に対する 「商人道」 という誇りを与えてくれた。
ただ生きているのではない、自分が何者かである、という光明を、安心立命を与えてくれたのである。

同時に蓮如は、本願寺に集まるものはみな 「御同胞」 だと説いた。
人間はみな兄弟であるという同朋思想。
私は、これを大阪人の “かまい” のこころの原点だと解釈する。“かまい” の情景と 「商業都市・大阪」 との関係が、蓮如という偉大な宗教家によって築かれた「宗教都市・大阪」 というイメージで、スカッと理解できたのである。

「日本に京都があってよかった」 というのと同様、私は 「日本に大阪のこころがあってよかった」 と思う。
ひょっとしたら、味けの無くなった日本を救うのは、この “かまい” の 「大阪のこころ」 ではなかろうか。