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戦争映画

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8月の映画館には、毎年 夏休み子供向け映画か 戦争ものがかかるのが、恒例のようになっています。
戦争にヒーローなどあろうはずないのに、戦争を美化するような 「戦争娯楽映画」 にはうんざりさせられます。

そんな中、二つの戦争映画が印象に残りました。

ひとつは こうの史代のマンガを映画化した『夕凪の街 桜の国』、もうひとつは 監督・新藤兼人の自伝戦記『陸(おか)に上った軍艦』。


『夕凪の街 桜の国』は 「原爆の悲惨」を描いた映画なのですが、大声で原水爆ハンターイと訴える映画ではありません。
広島に原爆が投下されてから 13年後、原爆症で死ぬ皆実(みなみ,麻生久美子) という26歳の女性の苦しみは、昭和20年8月6日 焼け爛れた瀕死の妹を背負って 廃墟となった広島の街をさまよい歩いた皆実の背から聞こえる幻聴でした。
幸せになりそうになると きまって聞こえてくる声、「おまえの住む世界は、そっちじゃない」。

この脅迫観念を考えるとき、12年前の阪神淡路大震災直後に、兵庫区にある「ちびくろ保育園」の前の須佐野公園で ボランティア 「ちびくろ救援グループ」のリーダーとして活躍していた 村井雅清さんを思い出します。

村井さんは 本職は靴職人で、長田に小児マヒなどで足に障害がある人へのオーダーメイドの革靴をつくる『靴道場』 という店を開いていましたが、震災当時 仕事で東京にいて、駅前の電光掲示板で震災を知ったそうです。
北区にある自宅は幸い被害は軽かったのですが、長田の店は壊滅状態。
それからの彼の行動は、何かに取り付かれたように 被災者の救援に奔走します。

震災から半年ほど経った 夏の暑い日、日曜日ごとに ちびくろ救援グループに通っていた私は、村井さんと一緒に アルジェリアから救援物資として送られてきた 20帖以上もの大きな軍用テントを張る手伝いに出かけたことがありました。
その帰り道、場所は忘れましたが、街中のスパへ連れて行ってもらいました。
汗びっしょりの体を 洗い落としながら、村井さんがポツリと こう洩らしました。
生き残った自分らだけが幸せになったらいかんような気がしてね、と。

「生きとってええんやろか」と悩む皆実は、恋人の打越(吉沢悠)に 「生きとってくれて、ありがとう」と言ってもらえたことで、救われたような気持ちになるのですが、原爆の後遺症は急速に彼女を死へと追いやります。
原爆が落ちたあの日・・・と夕凪の広島で言葉を続ける弟の旭に、原爆は落ちたんじゃのうて 落とされたんじゃ、と厳しい顔で話す皆実が、死ぬ間際に原爆を投下した人に皮肉を込めて必死で訴えた
なあ、うれしい? 13年も経ったけど、原爆を落とした人は私を見て『やったぁ、また一人殺せた!』って、
ちゃんと思うてくれとる?
」 という言葉を、ドキュメンタリー映画 『ヒロシマナガサキ』(スティーブン・オカザキ監督)の中で「原爆を投下したあと、悪夢なんてみたこともない」と言った B29爆撃機の搭乗員に ぶつけてやりたい。

茨城県水戸市に疎開していて被爆を逃れた皆実の弟 旭は、母フジミ(藤原志保) が「家族が原爆で死ぬのは もう見とうない」 と反対するのを押し切って、被爆女性の京花と結婚します。
七波(ななみ)、凪生(なぎお) という姉弟の子供を授かった一家は、埼玉の桜が満開の団地で暮らします。
その団地で妻の京花を原爆の後遺症で亡くし、続いて母のフジミも他界します。
父と次姉を原爆で失ったあと、長姉と妻と母の家族3人の死を看取った旭(堺正章) が、この映画の真の主人公かもしれません。

平成19年の夏、彼は長姉の皆実の50周忌を機に、広島に皆実の面影を宿す人々を訪ねてまわります。
それを挙動不審と勘違いした娘の七波(田中麗奈)も、久々に出合った幼友達の東子(中越典子)と共に、父を尾行して広島へ。
東子は 七波の弟・凪生と付き合っていて、両親から被爆者の親を持つ凪生との関係を反対されています。
自分のルーツと向き合う七波と、原爆がもたらした真実を広島平和祈念資料館で実感する東子を通して、原爆二世の抱く 「もの言えぬ苦悩」 が迫ってきます。

こうの史代の原作のマンガの明るい色使いと同様、映画 『夕凪の街 桜の国』も、扱っているテーマの重さに引き摺られることなく、さらっと仕上がっています。
戦争や原爆を恨む気持ちよりも、それを乗り越えて生きて来てくれた人々への感謝の気持ちを呼び起こす秀作です。


『陸に上った軍艦』は、新藤兼人自身の証言語りと その再現ドラマで織り成す、直接的な戦場描写のない、風変わりで奇妙な戦争批判映画です。
一見淡々と構成されていますが、この映画が極めて稀少で貴重な戦記であることは、新藤兼人自身の次の告白文が物語っています。

・・・多くの戦記物語がある。だが弱兵の記録はない。なぜなら、彼らは穴を掘り、殴られ、雑役に追いまわされただけだからだ。そんなみじめな戦記を誰が書くか、思い出したくもないのだ、戦争そのものを。

それでも伝えなければとの想いでできた作品です。

この映画に登場する軍事訓練は、どれをとっても笑ってしまうしかしようのない くだらないものばかりです。
軍隊生活のばかばかしさが やがてどうしようもない哀しみにつながっていきます。
この映画は、どこを探しても英雄的要素のかけらもない軍隊の現実を、淡々と描ききっています。
だからこそ、戦争の残酷さは戦場での殺戮だけではない、との思いがこみ上げてくるのです。
とても重い、秀でた作品だと思います。


これらふたつの戦争映画の観客は、映画を観終わったとき それぞれの感想は違っても、戦争はいやだという思いは 同じだと思います。
でも彼らは、映画を観る前から こうの史代や新藤兼人に波長が合う人たちなのではないでしょうか。


8月15日の夜に放映された NHKテレビの特別番組 「日本のこれから 『考えてみませんか?憲法9条』 」 を観て、ぞっとしました。
討論に参加した約4割が 「戦争やむなし」 と考えているのではと感じたからです。
この4割の人たちは、果たして 『夕凪の街 桜の国』や 『陸に上った軍艦』を 観るでしょうか。
たとえ観たとしても、 「戦争はどんなことがあってもしてはならない」 と考え直してくれるでしょうか。
何か絶望的な現実を想像してしまいます。
日本は真っ二つに割れてしまうのではないか、そんな極端なことまで考えてしまいます。

こんなに秀でた戦争映画が作られても、「どんなことがあろうとも戦争だけはしてはいけない」と、 考えている人たちだけの 慰み物に終わってしまうのではないか。
私の危惧は、取越し苦労でしょうか。