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二度と戦争をしない国を作るために

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 私が子供の頃、親が星空をながめて、先祖から言い伝えられた話をしていました。
 「箒星(ほうきぼし)が出たら、また戦(いくさ)が起こるのではないか」。
 ほうき星とはハレー彗星のことで 70年あまりの周期で訪れます。
 70余年たつと、親たちも死に、戦争を体験した人たちも亡くなり、指導者たちが戦争を美化しようとします。
 私の親が言っていたことは そのことを戒めているのだと思います。
 戦争の美化は絶対にさせたくないと思っています。
 そのためにも、若い人たちは真実を見つめ、学び、しっかり行動していって欲しいと願っています。


上の文章は、このブログでも何度か紹介しました。
「ひめゆり」の語り手のひとり 比嘉文子さん(故人)が、2007年に公開されたドキュメンタリー映画 『ひめゆり』のパンフレットに、寄稿されたものです。
天皇・皇后両陛下が 戦後70年のいま、太平洋戦争の激戦地パラオを訪ねられた報道を見て、わたしは まず、比嘉さんのこの言葉が頭に浮かびました。


わたしは、決して ‘尊王’ではありませんが、現在の明仁天皇、美智子皇后のおふたりに対しては、大きな尊敬の念をもっています。
この国をほんとうに憂え、悼んでおられる、そう伝わってくるからです。

太平洋に浮かぶ美しい島々で、このような悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならないと思います。

出発の日に天皇陛下が述べられた上の言葉は、代表して安倍総理が承っていましたが、彼の心に どこまで響いたか。
いまの日本の平和を 享受しているわれわれみんなが、この言葉の重みを、かみ締めなければなりません。


画家の安野光雅さんの きれいな本が、手元にあります。
ご成婚55年を迎えられた天皇・皇后両陛下の歌から133首を選び、皇居を彩る植物のスケッチと解説を添えた 「皇后美智子さまのうた」という ‘絵本’です。
安野氏の主観で選んだ という側面はあるにしても、この ‘絵本’に記された天皇・皇后の歌には、この国をこよなく愛し憂うお気持ちが満ちています。

「琉歌」という章のなかに、こんなお歌があります。
   花ゆうしゃぎゆん(花よおしやげゆん---花を捧げます)
   ふぃとぅ知らぬ魂(人知らぬ魂---人知れず亡くなっていった多くの人の魂に)
   戦ねいらぬゆゆ(戦ないらぬ世よ---戦争の無い世を)
   ちむににがてぃ(肝に願て---こころから願って)


昭和50年の夏、皇太子だった明仁天皇は、美智子妃とともに初めて沖縄を訪問されました。
父・昭和天皇が最後まで望み果たせなかった、沖縄訪問でした。
このとき、ひめゆりの塔の前で過激派に火炎瓶を投げられ、現場は大混乱になります。
それでも予定を変えず、煙を大量に吸い込んだ服も着替えず、沖縄戦の戦跡をめぐって慰霊の祈りを捧げられました。
そのときの思いを明仁天皇は、「琉歌」とよばれる沖縄の古い歌を長い時間をかけて学ばれ、その形にのせて詠まれたのです。

象徴天皇のありようとしては、パラオご訪問を 「ご本人の強い希望で」と安易に報じられることに、懸念を示す考えも承知しています。
しかし、明仁天皇ご自身も過去に述べられている通り、‘政治から離れた立場で’国民の苦しみに心を寄せられるお姿は、象徴天皇という言葉で表すのに最もふさわしいあり方だと思います。
むしろ、沖縄や福島で起きている重大な課題について、間接的な表現ながら、はっきりと遺憾の念を公式に表明されていることに、何にも替えがたい心強さを感じるのです。
国民の誰よりも、勇気あるご夫婦だと思います。


いま日本は、憲法をめぐって、真っ二つに裂かれるようで、おそろしいです。
でも、護憲だろうが改憲だろうが、上に掲げた明仁天皇の琉歌の心を解せないものはいない、そう信じたい。
平和を願う気持ち、二度と戦争を起さないという願いは、ひとつ、そう信じたいのです。

明仁天皇の琉歌のように、天皇・皇后のパラオでのお姿のように、人知れず命を奪われた声なき人々の苦しみと悲しみに深く思いを寄せる、この気持ちがひとつなら、もがきながらでも きっと、新しいこの国の 望ましい形が探り出せることでしょう。