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シュプレヒコール

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8月30日の 10万人を越える参加者の国会前デモを受けて、大阪市長・橋下氏が こんなことを言っている。
「こんな人数のデモで国家の意思が決定されるなら、サザンのコンサートで意思決定する方が よほど民主主義だ。」

このたびの安保法案に関しては、いろんな意見があるのを承知している。
考え方は、さまざま あっていい。
知人にも 客先にも、わたしと真逆の意見を持っておられる方が おおぜいおられる。
会社のホームページに間借りしている このブログに、政治色の強い自分の意見は なるべく避けてきた。

だが、この橋下氏の発言記事を読んで、もう 黙っていられない。
多数決が民主主義 と公然と主張する橋下氏は、民主主義をはき違えている。

「三権分立」という言葉の意味を教えてもらったのは、中学2年のときだった。
教えてくださったのは、いまもご健在の 吉岡克己先生である。
吉岡先生に薦めていただいて読んだ書物に、昭和23年初版の文部省(当時)発行 『民主主義』(径書房再発刊)がある。

この書物の 「はしがき」に、こうある。
  民主主義とはいったいなんだろう。
  多くの人々は、民主主義というのは政治のやり方であって、自分たちを代表して政治をする人をみんなで選挙することだとこたえるであろう。
  それも、民主主義の一つの現れであるには相違ない。
  しかし、民主主義を単なる政治のやり方だと思うのは、まちがいである。
  民主主義の根本は、もっと深いところにある。
  それは、みんなの心の中にある。
  すべての人間を個人として尊厳な価値を持つものとして取り扱おうとする心。
  それが、民主主義の根本精神である。

8月23日の日曜日の午後、河原町通りを南行するデモの 長い列に出会った。
安保法案反対デモだ。
女性が多い。
若い人たちが多い。
60年安保のような うねりデモでもなく、70年安保のようなゲバ棒デモでもなく、整然とした、しかし はっきりとした意思を持った人々の列であった。

軽トラの荷台に載って、学生であろうか、若い女性がマイクで 自分の言葉で自分の意見を述べている。
「わたしたち国民は、法律を守っています。国は、憲法を守ってください。」
列のみんなが、同じ言葉をシュプレヒコールする。
このシュプレヒコールは、ほんものだ。
従来のデモにみられた ‘政治の匂い’は、ぜんぜん感じられない。
約束の時間に縛られていなかったら、わたしも あの列に飛び入り参加したかも知れない。

いつまでも続くデモの列を見送りながら、わたしの体内に、中島みゆきの歌 『世情』が流れていた。
  シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
  変わらない夢を 流れに求めて
  時の流れを止めて 変わらない夢を
  見たがる者たちと 戦うため