太極拳から教わったこと |
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壮年期、長い欝から抜け出すために、藁をもすがる思いで、人から良いと薦められること 自分なりに良いと思うことは、手当たりしだい やってみた。
長かった。
なによりも、傍迷惑だった。
家内が、一番の犠牲者であったろう。
‘とき’が 最大の良薬には違いないが、積極的治癒法として 太極拳に出会えたことが、欝脱出には大きかった。
30代に 面白半分で、少し太極拳を学んだことがある。
義父が、若いのにようやるなぁ と褒めてくれたことが、励みだった。
だが、長くは続かなかった。
習いごとは、指導者に負うところが大きい。
良き師に出会えることは、なによりの幸せである。
欝の時代の終盤に、西村加代先生の教室に通えたことが、その後の生き方を変えるほど 幸運だったと感謝している。
太極拳の いったいなにが、わたしをこんなに惹きつけるのか。
太極拳は、心身ともに健康になる方法のひとつであることに、異論はない。
健康法としての恩恵もあるのだが、その精神性に わたしは魅せられている。
体を動かしながら、瞑想して禅の境地に導き、心までも整え、自らの生命力を高める・・・
心の安寧を希求する者にとって、願ってもない ‘よりどころ’なのである。
「太極拳経」というのがある。
お経みたいな名前がついているが、「太極拳論」と表現したほうが適切かも知れない。
漢文をまともに読めないわたしには、最初、漢字の羅列としか見えなかった。
李天驥老師(簡化24式太極拳の事実上の創始者)の著書や、楊名時師家の後継者・楊進氏の解説書などをひも解くと、その偉大さが見えてくる。
人を蹴落とすことしか頭になかった 若かりしころ、がんばることしか人に勝てる方法はない、そう思い込んでいた。
だから 歯を喰いしばり、心も体も張り詰めて、過呼吸発作が出て、顎関節症になって、プツンと切れて、欝になった。
「不用力の順勢借力の実現」、この太極拳の目指す意味を、あのころに理解していたら・・・と、つくづく思う。
不用力の順勢借力の実現とは、自分は力を用いないで 楽な姿勢で 相手の力を利用して おのれの目指すところを実現する、というところか。
太極拳は武術であるから、その目指すところは、相手を倒すことにあるはずである。
太極拳は、相手を倒すにも、必ずしも すべての面において 相手より優っていなくて良い、という。
「以弱勝強」 「後発先至」の考え方が、根底にある。
相手の存在を肯定し、自分が相手より劣勢であることを自覚する。
そこに 勝機が生まれる、というのである。
非力であることが前提、ここが 肝心なのだ。
たとえば、相手が 「突き」を入れてくるとする。
当たり前なことだが、この突きをまともに受けるには、突き以上の力が要る。
つまり、一点において、力と力がぶつかるのなら、強い力のほうが優るのが道理だ。
ところが、突きの方向を ‘かわし’で逸れさせると、余った攻撃力で 相手は自らバランスを崩し、そこに ‘スキ’が生まれる。
逸らせる力は、いくばくも要らない。
ただし、相手を逸らせるには どう動くべきか、とっさの理解力と判断力が、こちらになければならない。
これが、技である。
楊進氏は、その著書 『至虚への道』(二玄社刊)の中で、太極拳経を読み砕きながら、弱きが強きを挫くことの根本は、争わないことに尽きる、と書かれている。
争わない と言っても、逃げるが勝ち ではない。
争わないことの根本は、現在の関係を把握して 冷静に対処することで、力と力の衝突を避け、円満な関係を築くことにある、というのである。
単に、自分の闘争心を押さえ込み、争いを放棄することではない。
まず、相手の力(剛)を推しはかり、その結果をもって おのれの柔なる動きとなす、なんと素晴らしい技であることか。
専守防衛という言葉がある。
日本国憲法第9条の解釈をめぐって、日本の優れたリーダーたちが考えをめぐらし 長い間かかってたどり着いた 日本のあるべき姿が、専守防衛であった。
わたしには、この専守防衛という言葉には、太極拳の真髄が込められているように思えてならない。
専守防衛は、他者に与える痛みを最小限にとどめて、我が身を安全に守る、最良の技ではなかろうか。
太極拳は奥が深い。
興味が尽きない。
教えられることが、大きいのだ。
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