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陰翳礼讃

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トイレの話で、恐縮です。

「夫のトイレの使い方について悩んでいます」という投書が多いと聞きます。
夫が使ったあとのトイレの床には水滴が数滴落ちていることが多々あります、というのです。
以前から思っていたことなのですが、これは、全面的に 「夫」の罪ではありません。
半分以上、便器の問題です。

どこの家庭も いまは、ほとんどが洋式トイレですね。
家庭から、男子専用の便器がなくなりました。
そもそも、これが問題なのです。

ある料亭で使ったトイレで、理想的な男子用便器に出会いました。
‘一歩前へ’なんて考えなくても、多少 尿放射線が歪んでも、おこぼれなんか皆無。
あぁ、こんな便器が うちにあったらいいのになぁ、と感じ入ったものです。


さて、本題に戻ります。

いつものごとく、明かりを点けないで トイレに入っていると、またかいな と、息子が点灯スイッチを入れました。
昔からそうなのですが、明々としたところで用を足すのは、どうも苦手です。

谷崎潤一郎のエッセイに、『陰翳礼讃』という名著があります。
この中で、むかしの日本の厠は実に精神が休まるように出来ている、と述べられています。
  漱石先生は毎朝便通に行かれることを一つの楽しみに数えられ、それは寧ろ生理的快感であると云われたそうだが、その快感を味わう上にも、閑静な壁と、清潔な木目に囲まれて、目に青空や青葉の色を見ることの出来る日本の厠ほど、格好な場所はあるまい。
と。
その必須条件として、或る程度の薄暗さ、徹底的に清潔であること、蚊の呻りさえ耳につくような静けさ、だというのです。

ずいぶん前の記憶なので、点影に過ぎませんが、東北をひと月かけて旅した途中、花巻で立ち寄った高村光太郎の山荘の、厠の記憶です。
厠の板壁に、明かりとりとして彫られた 「光」の文字。
薄暗い厠に、その光の文字から射しこむ光線の、神々しいほど美しかったこと。
清浄と不浄の境界を消し去る力を、あの光線には宿っていたように思い出されます。

陰があるからこそ、光がよりいっそう輝くのです。

息子が点けた明かりを わざわざ消して、不都合な便器にしゃがみながら、記憶に残る 『陰翳礼讃』の中の谷崎潤一郎の言葉や 光太郎の明かりとりから射しこむ光線を、反芻していました。