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天空の蜂

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就職先を決めるのに、自分なりの基準を持っていた。
そんな基準をもてるほど、1970年の日本は、こと就職に関して 「売り手市場」だったということだろう。
自分なりの基準とは、‘軍需産業と無縁の会社’だった。

選んだのは、住友機械工業株式会社。
入社する前年の1969年6月に、浦賀重工業株式会社と合併して、住友重機械工業株式会社になっていた。
入社後研修で浦賀ドックを見学したとき、護衛艦まきぐもが保守点検に繋がれていた。
軍需産業と無縁の会社ではなかった。

入社前に徹底して会社事情を調査したわけではなく、護衛艦をみて入社を取り消すほど こり固まった思想をもっていたわけでもなかった。
いやーな感覚はぬぐえなかったが、社会人となる緊張が そんな感情を吹き飛ばした。
以後、組合問題など 個として思考する機会はいくどかあったものの、所属した会社や地域や団体に ほとんど没個してしまった。
そして、そのことに疑問すら感じないようになっていた。

東野圭吾が小説 『天空の蜂』で 「沈黙する群集」とよんだ群集のひとりになっていた、ということである。


映画 『天空の蜂』を観た。
元来 映画というものは、おもしろくて楽しいものでなくてはならない、というのが、わたしの持論である。
映画 『天空の蜂』は、そういう意味で一級のエンターテイメント作品だと思う。
監督の堤幸彦、脚本の楠野一郎、彼らの技量の賜物だろう。

えてして社会派映画は、押し付けがましくなりやすい。
ポロパガンダ映画のように。

映画 『天空の蜂』は、原発を題材にしながら、偏狭な肩入れや偏執な反感を、観るものに強要しない。
社会派映画に違いないが、ハラハラどきどきスカッと、というエンターテイメントに徹している。
それでいて、見終わった後の観衆は、送信されなかた真犯人・三島(本木雅弘)のメールに、ドキリとさせられている。
「沈黙する群集に、原子炉のことを忘れさせてはならない。常に意識させ、自らの道を選択させるのだ」と。


安保関連法案は、予想通り参議院で可決した。
だが いま、人々は ‘沈黙する群集’ばかりではない。
ことに 若い人たちが、法制への理不尽なやり方に はっきりと意思表示をし出した。
徹底した非暴力のやり方で、理路整然と。
就職に不利になるかも知れないのに。

彼らはきっと、安保関連法案に関して、いろんな意見を持っているのだと思う。
ただ 一点、‘個’を踏みにじろうとする権力が、許せないのだと思う。
その尊い感覚を、社会人という大人になっても、忘れないでほしい。

集団に ‘個’を没した過去を持つ者が、頼もしく思えてきた若い人たちに抱く希望。
『天空の蜂』を観終わって、そんな感慨が沸いてきた。