志津香の釜めし |
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『白鳳』展が、シルバー連休最終日9月23日まで 奈良国立博物館で開かれていた。
仏像は御堂で拝顔するものと、少々かたくなにこだわっていたので、夏の暑さを言い訳に、見過ごしていた。
最終日のぎりぎりになって、やっぱりだいすきな白鳳仏なのだから、それに深大寺の釈迦如来倚像も観れるし と、久々に奈良を訪ねた。
山田寺の仏頭に接して その凛々しさにときめいて以来、大の白鳳仏ファンとなった。
なかでも、薬師寺東院堂の本尊・聖観世音菩薩立像に、言葉は適切とは思われないが、恋い焦がれた。
薄暗い東院堂仏壇上の厨子のなかに 近世の補作の光背に包まれておわす 聖観音の前に、いくど立ち尽くしたことか。
横顔をみたい、後ろ姿もながめたい、そんな不信心な願望を抱いたものだ。
このたびの白鳳展で、それが叶った。
適切な明るさのもと、360度の方向から、至近距離で、かの聖観世音菩薩像に接することができたのである。
仏像は御堂で などというこだわりは、はっきりとこの目で捉えた この立像の美しさに、吹っ飛んだ。
賢そうな横顔、ことに右の横顔が素敵である。
仏像は本来ユニセックスなのであろうが、お顔は男性、体は女性、だと感じる。
以前から不思議だった 複雑な天衣(てんね)の動きに、像の後ろ姿をみて 納得できた。
天衣はうしろで、ショールのように すっぽり背中を包んでいたのだ。
山田寺の仏頭は見られなかったものの、薬師寺金堂本尊薬師三尊像の右脇侍、月光菩薩像をはじめ、法隆寺夢殿の夢違(ゆめたがえ)観音像、鶴林寺のアイタタ観音像、深大寺の釈迦如来倚像など、このたびの展は、白鳳仏ファンにとって垂涎の陳列であった。
時代を時代で喩えるなど ナンセンスではあるが、白鳳期という時代は、西洋文化の受容を短期間で成し遂げてゆく明治維新後の日本に、似ているように思えてならない。
朝鮮半島や中国の文化に圧倒された飛鳥期から ようやく先進国に追いつけそうな予感を感じさせるエネルギーを、白鳳期の仏像に感じるのだ。
キリリとした切れ長の目、眉から鼻に到る力強い筋、ひとことで表現するなら、白鳳仏に漂う気配は、‘希望’であろう。
大満足の奈良国立博物館を出て、空腹を覚えた。
二条大路を隔てて博物館前に、いつも長い列のできている店がある。
だいぶ前に一度だけ、早めの夕飯をここでとったことがある。
釜めしが売りの 『志津香』。
奈良を訪ねるたびに ここで昼飯をと思うのだが、長い列をみて諦めてきた。
どんなに近場でも、旅の楽しみの半分は、食べ物や買い物である。
だが、その大事な昼食に、いつも悩む。
今回は、いを決して長い列に並んだ。
夏の名残の強い日差しが、日陰のない列に容赦なく降り注ぐ。
待つこと 1時間と15分。
やっとありついた釜めしの味よりも、生ビールの旨さがしみた。
客の半数近くが、中国からきた観光客かナ・・・
志津香さんの名誉のために蛇足するが、暑い中をスミマセンと 並ぶ客にかける かわいい店員さんのあしらいも、店内の雰囲気も、いい。
肝心の釜めしの味は、言うまでもなく上品。
ひと釜ひと釜じっくり直火で炊きあげた、おこげが香ばしい!
聖観音像と釜めし。
ヘンな取り合わせだが、この日のわたしには、きわめてスンナリした調和であった。
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