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禁じられた遊び

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小原孝さんのピアノで 『禁じられた遊び』を聴いた。
ギターでの演奏より、もっと切なく もっと悲しい。
胸の奥の奥が ぎゅーっと締め付けられるように、底知れぬ寂しさがこみ上げてきた。

幼い日に見た映画 『禁じられた遊び』のシーンが、断片的に浮かぶ。
少年が 怒りをぶちまけるように、十字架を次つぎと川へ投げ込んでいる。
少年の名を叫びながら、修道女から逃げるように、人ごみの中へ消えてゆく少女の姿・・・

この底知れぬ寂しさは、いったい なにから来ているのだろうか。
これを確かめたくて、500円のDVDを買った。
映画 『禁じられた遊び』を、60余年振りに観る。

戦争の最大の犠牲者、それは子どもたち。
これは、弱きものの叫び、反戦映画だ。
むごたらしいシーンは、ほとんどない。
幼い子どもたちの ‘お墓ごっこ’を通して、大人たちの勝手な戦争の理不尽さを、思い知らされる。


京都での小原孝ピアノリサイタルは、毎年 いま時分に催される。
小原さんの父上は、ギターの先生だった。
ギターの音色で育った小原孝ならこその、ピアノでのギター曲演奏。

クラシック音楽が好きなのに、咳払いひとつするのも憚られるクラシックコンサートは、もう、わたしには耐えられない。
小原孝のピアノは、クラシックのエッセンスを 噛み砕いて、聴くものにやさしく届けてくれる。
クラシックにとどまらず、しっかりしたクラシック音楽の基礎の上に、ジャズ、ポップス、童謡、演歌など なんでも、届けてくれる。
ピアノひとつで、これほどまで 聴くものの心を揺さぶるアーティストを、他に知らない。

ふっと、教養部から学部へ上がるガイダンスで語ってくれた、K助教授の言葉が思い出される。
工学は、理学をしっかり学んで それを誰にでも判る言葉で伝えるスキルを学ぶこと、これが 君たち工学部学生のやるべきことだと 心得なさい、と。
小原さんは、音楽というジャンルで このことを実践されているのだなぁ、と。


このたびの安保関連法案の内容を、もっと詳しく学ばなければならないのかも知れない。
だが、学ぶ価値を みい出せない。
クラシックコンサートに耐えられないのと同様、その忍耐力がない。

ただ ひとつ、確信がある。
‘禁じられた遊び’の底知れない悲しみを、子どもたちに あたえてはならない。
これを犯す恐れのあるものは、断じて許せない。

安倍総理の百万陀羅の 「絶対に・・・」発言。
この言葉より、街頭インタビューに答える 赤ちゃんを抱いた若いお母さんの感覚の方を、わたしは信じる。
「この子が将来 兵隊さんにとられるような国になって欲しくない」と。


リサイタル会場で買い求めた 小原孝のニューアルバム 「アルハンブラの思い出」を、浅い眠りから覚めて 眠れぬままに聴いている。
『禁じられた遊び』を、なんどもなんども 聴いている。