YAMADA IRONWORK'S 本文へジャンプ
吉田山

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京都盆地にも、大和三山に擬せられる山がある。
船岡山(ふなおかやま)、吉田山、双ケ丘(ならびがおか)。
山というよりも、丘というべきか。

平安京の朱雀大路は、船岡山を北の拠点として南に伸びていた。
現在の ほぼ千本通りに当る。
この朱雀大路と、東の吉田山と西の双ケ丘とを結んだ線とが交わるところに、大極殿が建てられた。
この地の地盤がしっかりしていることが、当時の土木技術で判っていたのだろう。

船岡山にも双ケ丘にも、それぞれに思い出が詰まっている。
しかし、もっとも思い出多き丘は と問われれば、やはり吉田山である。
吉田山は 若き日に、隅々までなめるように歩きまわった。


年が明けると この節分まで、寺社めぐりに けっこう忙しい。
初詣でに始まって、墓参り、えべっさん、立木さん、そして壬生寺に吉田さん。
信心から というよりも、それをはずすと 何かことがあったときに あぁやっぱり参っといたら良かったのに との後悔がイヤだから。

壬生寺と吉田神社のハシゴは、かなりしんどい。
節分の壬生寺詣では、町内で護摩木が配られるようになってからであるから、まだ日は浅い。
が、壬生寺のぬくい感じが好きなので、はずせない。

吉田さんへは 最近、車で行くことにしている。
近衛通りを東に行くと、吉田東通りに突き当たる。
節分の2月2日3日は 交通規制で、車ではここから北へは入れない。
朝 早い目だと、吉田東通りにあるコインパーキングに 空きがある。
ここからだと、吉田神社の南参道まで 歩いてもしれている。

このあたりは、俳人・鈴鹿野風呂(すずかのぶろ)の屋敷(今は野風呂記念館になっている)や 鈴鹿一族の邸宅が建ち並ぶ。
作庭家・重森三玲の屋敷(今は重森三玲庭園美術館になっている)も、この近くだ。
ついこのあいだ見たテレビドラマも、南参道鳥居付近が 舞台になっていた。

南参道鳥居をくぐって、広い階段をのぼる。
平日だと 途中から山蔭神社の小社裏にでる近道を通るのだが、節分のいまは 河道屋一門のお蕎麦屋さん出店が占領していて 通れない。
しかたなく 大元宮まで大回りして、本宮へ至る。

お正月のお飾りも込めて パンパンの古いお札の包みを 火炉前の奉納所に収めるのだが、今年から 包みは‘お持ち帰り’となったらしい。
包みの内部検分を受けて、大丸の大きな手提げ包装袋は、帰りもご一緒となる。
新しいお札セットと財布用の小さなお札を求め、豆まき用に 豆政の 「のりかけ豆」を買う。

ことしも 数え歳の数より一粒多く食べて、夕食後に豆まき。
歳の10の桁は省略だから、ことしは2粒食べればいい。
たぶん もっとたくさん食べるだろう、豆政の 「のりかけ豆」は 食べだすと止まらないから。


毎年 同じことの繰り返しの、年のはじめ。
冬の木々の枝の隙間から、立派な京大の校舎が眺められる。
ここ数年は 年に一度の京大校舎遥拝だが、あの頃を思い出させる面影は ない。

京大校舎はすっかり変わっても、吉田山のにおいは むかしのまま。
だから、毎年 同じことを繰り返せるのだ、と思う。

義父の歌を、思い出した。

  銀漢や とまれ吉田は なつかしき