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再び、あのドラマのこと

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あのドラマとは、『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』のことである。

たまたま買った週刊誌 『週刊朝日』の<てれてれテレビ>というコラムで、このドラマをコテンパンにこき下ろしていた。
暗い!というのだ。
みていてイヤ~な気持ちになる 「イヤドラ」(イヤ~なドラマということか)だと。

このコラムの筆者の是とする主義を髣髴とさせる、こき下ろしっぷりである。
明るきゃ それでいい、みたいな・・・
弁護する義理はないのだが、暗くて 何が悪い!って言いたくて・・・


連(高良健吾)と音(有村架純)が住む近所のおばあちゃん・仙道静江(八千草薫)の家での芋煮会。
コラム筆者は、いたたまれなさのドミノ倒し場面だという。
わたしは、シン底をえぐられる名場面だと思う。

音と朝陽(西島隆弘)、連と木穂子(高畑充希)が、互いに恋人同士を演じているのを見て、連の友人・晴太(坂口健太郎)は、木穂子の不倫の過去を さらりと突き刺す。
コラム筆者は、まるで 「ベッキーの前で文春朗読するような行為」だと。
まぁいいだろう、時を得た批評、としておこう。

音は、なんとか気まずいその場をとりつくろおと、「食べよ!芋煮いもに」。
音をじっと睨みつけていた小夏(森川葵、連の同郷の後輩)が噛みつく。
晴太が好意を寄せる小夏は、連に片思いしている。
コラム筆者が いたたまれなさの極みだという、場面だ。

(小夏)「なんで話、変えんだぁ?」
(小夏、音をぐっと睨んで)「この人、なんで急に変えんとすんだべな」
(朝陽)「楽しく食事ね・・・」
(小夏、覆いかぶせるように)「楽しい?楽しいかなぁ。ほんとは全然楽しくねぇべ」
(連)「なにが・・・」
(小夏)「だって、だってだよ。みんな嘘ついてんだもん。だって、連が好きなのは木穂子さんじゃねぇべ」
(小夏)(音を指差して)「この人だべさ。それを楽しいって、おかしぐね?それを、平気な顔して。いっしょにご飯なんか食べて。(音と朝陽を二本の指でさして)ふたりして、(連と木穂子を二本の指でさして)ふたりして。なんかいい感じの振りして。ちがねしだ全然。だって、(音を手元で指さして)連が好きなのはこの人で。この人も、連が好きなんだもん。なにこれ、なにこれ。上辺ばっか楽しそうな振りして、嘘ばっか」
(みんな黙っている、だから小夏は噛みつき続ける)「みなさんのしていること、楽しくないですよ、全然。きれいじゃないですよ。(木穂子に向かって)不倫して、ほかに好きな人いんのに、嘘ついて隠して付き合って、(音に向かって)連と木穂子さんが付き合ってるの知ってるのに、こそこそ逢って・・・ドロドロっだべしたー」
(小夏、ちょっとトーンを下げながら、音を下から見上げるようにして)「ほんとのこと、言いましょ。好きなんでしょ。両想いなんでしょ。いいの?このままで。このまま、ここ、ほっといていいの」
(小夏、木穂子の方へ向きなおって)「木穂子さんだって、ほんとは気付いてたんじゃねえの。ほかに好きな人いること、気付いてて、気付いてねえ振りしてたんじゃねえかよ。そんなの、卑しくってやんだな~」
(木穂子の気持ちを気遣う連、それを見て小夏)「連もそれでいいの?ここに(ローテーブルの上を指で突っつきながら)目の前に好きな人がいんのに、全然 好きでない人と付き合ってて いいの?」
(連)「俺は、木穂ちゃんが好きだよ」
(小夏)「何番目に?(黙ってる連を哀れむように)言えない!嘘ばっかついて」
(小夏、音を正視しながら)「ゆったら。好きなんだって。好きですって、言ったら。ねぇ ほんとのこと言いましょ。連、好きよって・・・」

連のやさしさ、音のひたむきが生んだ、かなしい心のすれ違い。

コラム筆者は、静江おばあちゃんが不憫だ、と はぐらかす。
「いつかこの芋煮会を思い出してきっと泣いてしまう」と。
どっこい、静江おばあちゃんは、なにもかも お見通し。
一番傷ついているのは、小夏だと。

最後の力を絞り出すように 小声で 「好きよ」と叫ぶ小夏の肩を、後ろに回った静江おばあちゃんはそっと抱く。
「小夏ちゃん、おいで。」


人はすべて、幸福を求めている。
だが 幸福は、なかなかつかみ難い。
聖書が 「こころの貧しい人たち」と詠んだのは、幸福を掴もうと 尽きることのない旅路を歩む者たち、もがく者たちを指したものであろう。
そういう者たちを 暗い!と言うのなら、人生はすべて真っ暗闇である。

しかし、聖書は 「こころの貧しい人たちは、さいわいである」と言っている。
暗い いま置かれているそのままの状態で、さいわいである、と祝福している。

第7話で、静江おばあちゃんは、立ち直ろうとする連に、
「生きている自分を責めちゃ、ダメよ」
と、話しかける。
「音ちゃんを見てると、音ちゃんのお母さんが どんな人だったか、わかる。連を見てると、連のおじいちゃんが どんな人だったか、わかる。私たち、死んだ人とも、これから生まれてくる人とも、いっしょに生きていくのね」
コタツの片側に かしこまって座る連、その向こうに 愛犬サスケを抱いて じっとふたりの様子を見つめる音。
静江おばあちゃんは、つづけて言う。
「精一杯、生きなさい」
コタツの上敷板に頭が付かんばかりに うな垂れる連の膝へ、サスケが潜り込む。
静江おばあちゃんは、満面に笑みを浮かべて
「おかえり」。


くだんのコラム筆者は、きっとこのドラマの大ファンなのだ と思う。
あのコラムは、その裏返し表現なのだろう。
コラム筆者とは、漫画家・カトリーヌあやこ女史である。