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みんなのための資本論

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まつりごとの本質は 弱者救済にある、と わたしは思っている。
この確信は、今も変わらない。


時代によっては、国が民より優先されることもあった。
150年前の日本、幕末から明治維新がそうであった。
まず国(国を代表するなにか)を強くすること、であった。
しかしこれは 非常時手段であって、平時に採られるべき道ではない。

今の日本が150年前と同じ状況だとは、到底考えられない。
それを あたかも同じ状況であるごとく、まつりごとを導きたがる政治家やマスコミがいる。
公の秩序と個人の自由を対立させ、「公」 に個人の自由を服従させようとする流れ、危険な流れである。

まつりごとは、平等の理想、それも法のもとでの平等を実現することが、目的であるべきだ。
税というシステムを通じて、富める者から貧しい者に豊かさを再分配する。
金銭だけではない、弱者が住みよい街を築くのも、再分配の ひとつの形態だ。
国の大きな特権である税とは、そういうものであろう。

まつりごとは、外交と専守防衛を除いて、平等の追求以外のことに首を突っ込むべきではない。
ことに 個人の自由は、「公の秩序」 を盾にとって、国が介入してはならない。
個人の自由は、国が介入したがることを戒めるため、憲法がしっかりと保障している。
自由は、芸術や文化や宗教という 個人のもっとも崇高な、人間活動の根幹だからだ。
芸術や文化や宗教は、多数決では はかれないからである。


さて、経済についてだが、国にどこまで口だしを許すのか。
わからない、だから、経済をしっかり捉えている人物に、教えを乞わねばならない。
ミヒャエル・エンデは、経済活動の理想は 友愛だと言った。
この理想を、資本の自己増殖を許す金融構造が 破壊してしまった、と考えた。

それを一気に推し進めたのは、グローバル社会、テクノロジー社会、であろう。
格差社会は、それらの申し子みたいなもの。
しかし、もはや グローバルやテクノロジーを否定して生きていくことはできない。

では、格差社会に どう向き合っていけば良いのか。
その解決を手探りするきっかけを、映画 『みんなのための資本論』が与えてくれる。

この映画は、アメリカを代表する経済学者、ロバート・ライシュが、たくましい言論社会のアメリカにおいて、今のひずみに至った道程を語っている。
資本主義の大転換のための処方箋を、ちょっとコミカルに ちょっとアカデミックに 解りやすく説いた、エコノミカル・エンタテイメント映画である。

ロバート・ライシュは、クリントン大統領政権下で労働長官を務めたが、その経歴だけでは 彼の情熱は読み切れない。
身長147センチの小さな体、そのハンディキャップを乗り越え、いまの時代に本気で変革を起こすために、人生を捧げた情熱の男である。

彼は いま、カリフォルニア大学バークレー校で教鞭を執っている。
それは、アメリカの将来は 若者たちにかかっている、という信念があるからだ。
学ぼうとする意欲を持った若者たちに、経済格差を通して、経済の歴史を より深く理解してほしい、と。
このことは、アメリカだけではない、日本も 中国も、全世界に共通する希望である。

ライシュは、社会主義者でも 共産主義者でもない。
人一倍頭を使い 人一倍汗を流した者が、ほどほどに仕事を流している者たちの 何百倍何千倍もの給料をもらうことは、当然だと考えている。

ライシュは、アマゾンにいち早く目をつけ投資して大富豪になったベンチャーキャピタリスト、ニック・ハナウアーを紹介している。
ニックは、ライシュの一番伝えたいことを、こう語る。
「典型的なアメリカ人の千倍もの収入を得ている私のような人間であっても、一年間に千個もの枕は買わないのさ」

ちょっと高級な枕を買える階級、健全な経済を支える中流階級の急速な減少が、アメリカの経済危機を招いた、とライシュは警告しているのだ。
かっての中流階級、年収500万円プラスマイナス250万円の階級が、どんどん貧困層、年収200万円以下の階級へと没落している。
アメリカも日本も、この傾向は酷似している。
それはなぜか。

ライシュは、かっては無料だったバークレー校の授業料を、例に挙げている。
それに因んで、日本の国立大学(学部)の授業料を見てみよう。
50年前、授業料は月額3000円だった、それがいまや、その15倍である。

初任給は、50年前 大卒で3万円だった、今は20万円、約7倍。
つまり 大雑把に言って、50年前と同じ中流階級の生活を 今するには、今の収入が倍なければならない。

ライシュが指摘するように、その穴埋めを 「女性の社会進出」 つまり共働きで賄ってきた。
それも 次第に苦しくなり、夫の残業代稼ぎ つまり長時間労働で食いつないだ。
それでも十分な収入を得ることができなくなると、アメリカの家庭はどんどん借金に陥った。
我が家を抵当にした借金生活。

周知のように、リーマンショックは その抵当の ‘我が家’の値打ちが暴落して起こった。
平成3年に生じた 日本のバブル崩壊も、同じ道程を歩んでいる。

ライシュが最も恐れるのは、格差が民主主義を壊すことだ。
中道という 賢明な思考が後退し、極左か極右かが もてはやされる社会。
その行き着くところは、民主主義社会の崩壊であろう。
だから、格差社会を是正しなければならない。

トリクルダウン理論というのがある。
富める者が富めば、貧しい者にも自然に富が滴り落ちる(トリクルダウンする)とする、経済理論である。
アベノミクスの基本的な考え方、と理解している。
日本の少し先を歩いているアメリカの経済史を学べば、トリクルダウン理論はレーガノミクスで間違いが実証されている。
景気が良くなるという媚薬に、もう 酔ってはならない。


映画 『みんなのための資本論』で、ロバート・ライシュは、具体的な 「格差是正案」を示しているわけではない。
示しているのは、格差是正の経済政策こそが、まつりごとが果たすべき仕事だということだ。
歴史に学び、一歩さがって全体図を見渡しなさい、と。

賢明なまつりごとの成果は、知識を得た国民一人ひとりの肩にかかっているのだ、と。