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本屋さんで売れている本、二冊から。

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京都の街中の本屋さん、店頭には京都案内がずらりと並んでいます。
まぁ その種類の多いこと!
名所旧跡、グルメ、町屋風お泊り処、パワースポット・・・

この手の書物を買ってまで読むことは、まずありませんでした。
京都に精通している訳でもないのに、京都生まれで 京都育ち 京都に住んでいる自分が なんでまた・・・という、一種の見栄ですね。

その中にあって、気になる書名の新書が、ちらりと目に入りました。
題名は 『京都ぎらい』、ことしの新書大賞第一位という帯が付いています。

例のごとく、あとがきから立ち読みです。
七は 「ひち」である、という副題の付いたあとがきに、おおおっと釣り込まれました。

そうなんです、僕らより上の年代の京都人は、上七軒は 「かみひちけん」です。
七条七本松は 「ひっちょうひちほんまつ」なんです。

普通名詞なら、教科書通りに七を 「しち」と読みましょう。
でも、上七軒も七条七本松も地名ですよ。
太秦を難読地名として 「うずまさ」と読ましていますよネ、それと同じじゃあないですか。

あとがきだけ立ち読みして、『京都ぎらい』を買ってしまいました。

洛中というのは、豊臣秀吉が作った 「御土居」で囲まれた中を指す、ということだそうです。
西大路通りのひとつ東に、「西土居通り」という南北の筋があります。
この西土居通りの御池通りを少し上がったところに、市五郎大明神という、こんもりした小さな神社があります。
御土居の跡だそうです。

市五郎大明神は 小さいころの遊び場でしたが、わたしの生まれ育ったところは この西土居通りより少しだけ西でした。
だから わたしも、『京都ぎらい』の著者同様、洛中人にはなれませんでした。
京都というところは、この書物に書いてある通り、こういうことを すごく気にする土地柄です。
いや、気にしているのは、わたしのほうかも知れません。

『京都ぎらい』を読んで感じたのですが、こういう いやらしい感覚は、一種の差別です。
嵯峨育ちの著者が 洛中の綾小路新町の旧家・杉本家の当主から受けたひけ目は、より西側の亀岡をあなどりだす。
田舎者よばわりされた著者は、より田舎びた亀岡を見いだし、心をおちつかせる。
著者は これを、「京都的な差別連鎖」と呼んでいます。

差別される自分も きらいだが、差別する自分は もっときらい。
『京都ぎらい』の主題は、著者の言葉を借りれば、京都的な差別連鎖のはしっこに いつのまにかすえつけられた自分自身への嫌悪なのでしょう。

ものすごく身にしみる読後感です。


もう一冊。
題名は 『羊と鋼の森』、ことしの本屋大賞に選ばれた作品です。

テレビのニュースで、作者の宮下奈都さんがインタビューを受けていました。
その控えめな受け応えの様子、宮下奈都さんから発せられる清逸な雰囲気を、いいなぁと思いました。
何々大賞と付く小説を どちらかというと避けていたのに、『羊と鋼の森』は読んでみたいと思いました。

若いピアノ調律師が 優れた先輩たちに導かれながら 「自分がほんとうになりたい調律師」とは何なのか、を掴み取ってゆくお話。
ひとことで言うなら 「森の匂い」、すがすがしい風に導かれるように、おはなしの中に引き込まれていきます。
本屋さんたちが読者にぜひ読んで欲しい、そう思った訳がわかります。
ほんとうに素敵な本です。

若い調律師・外村くんは、尊敬する先輩調律師の板鳥さんにたずねます。
「板鳥さんはどんな音を目指していますか」
板鳥さんは、原民喜の文章の一節を、小さく咳払いして語ります。
「明るく静かに澄んで懐かしい文体、少しは甘えているようでありながら、きびしく深いものを湛えている文体、夢のように美しいが現実のようにたしかな文体」

作者は、ピアノ調律師の姿を借りて、作者自身が目指す文体を、この作品の中で追い求めたのでしょう。
その企みは、達せられていると信じます。

外村くんが調律したピアノの音色が 高原の風に乗って聞こえてくるような錯覚を覚える、明るく静かに澄んで懐かしい小説です。