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青春の鴨川デルタ

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「ドキュメント72時間」というテレビ番組がありますね。
NHK総合 毎週金曜 午後10時50分から放送の、深夜を含む丸まる三日間の、ごくありふれた場所に行き交う ごくありふれた人間模様の記録。
金曜日だから少々夜更かししてもまぁいいか的に、ほとんど欠かさず観ています。

福岡・久留米の国道沿いラーメン屋で、沖縄のアメリカンドライブインで、真冬の秋田港のうどん自販機の前で、名古屋・栄の地下街にある忘れ物窓口で、広島の路面電車の中で、茨城県牛久大仏の霊園で、クリスマスイブの札幌市バスターミナルで、東京・浅草の小さな遊園地 「花やしき」で・・・

この前(7月1日)は なぜか午後10時スタートでした、「京都・青春の鴨川デルタ」。
撮影日は、新緑の5月12日(木)正午から15日(日)葵祭りの日まで。
ナレーターは、仲里依紗さん。

ところで 「鴨川デルタ」なんて言葉、いつ頃から言われだしたんでしょうね。
出町柳の近く 賀茂川と高野川の合流地点が どうしてデルタ(三角州)なのか・・・まぁいいですか。
それに 「カモップル」、鴨川のカップルを そう呼ぶんだって。

石のベンチに座って 小鼓と横笛の練習をする男女、結婚式の前撮りで白無垢と羽織袴の和装カップル、真っ暗な夜 草むらで星空を見上げる若者たち 空には北斗七星、サークルの新歓合宿の出し物の練習にやってきた四人組・・・
鴨川デルタは、誰もがここで青春を思い出すのでしょう。

金曜日の夜11時30分、鴨川デルタは 学生たちの宴会場になっていました。
その賑わいを 対岸から眺める三人の女の子、地元京都の高校を卒業して みんな別々の大学に進学したらしい。
それぞれに 思わぬ悩みにぶつかっているみたいです。
「パリピ(パーティー・ピープル)やなって、眺めてたんです」
「パリピの中でも 居心地悪いやつが、一人ぐらいおるやろうなって」
「あそこの輪に入ったら 彼氏できそうやんね」
「そう、すぐできるで・・・?」
ナレーターの語り。
景色は同じでも、そこにいる自分は、少しずつ変わっていく。

学生たちが帰ったあとの 土曜日の早朝、だれもいない川辺を じぃっと眺めている人がいます。
61歳、建築関係の仕事をしている初老の男性。
学生時代をここで過ごした、といいます。

「懐かしいんですわ。ここで むかし、酒飲んどったんですわ」
その後の人生の節目ふしめで、京都を訪れているという。
「(家族は)震災で死にました。神戸震災でね」
奥さんと子供を亡くし、ずっと一人だという。
「ちょうど京都駅の建設に携わっておったんや、泊り込みで。そこからちょっと人生狂ってもた。今は からだ壊しとるから、鴨川 みとこうかな思うて」
最近 重い病気がみつかり、なぜか若いころ遊んだこの場所が 見たくなった、という。
「授業サボって昼寝したり、酒飲みすぎて警備員が起こしに来てくれて、学生さん!授業あるんと違うのんって」
流れに漂う、たくさんの思い出。
「鴨川の流れは 全然変わってへんけどな、昔のまんま」


一ヶ月前、大学院の気の合う仲間6人が、京都で会いました。
集合場所は、百万遍の 『進々堂』。
二年に一度の、一泊旅行です。
今回の行き先は、琵琶湖と比叡山。

出町柳から京阪電車に乗るべく、ブラブラとそぞろ辿り着いたのが、鴨川デルタでした。
中州は二段になっていて、高い方の段に6人が、口数少なく 飽きもせず、みな 行く川の方向を眺めていました。
この鴨川デルタでの思い出を、遠いむかしの思い出を、ひとりひとりの胸に反芻していたのでしょう。

「あの飛び石、あんなに平べったやったかぁ」
一人が口を切りました。
確かに 記憶にある飛び石は、もっとゴツゴツしていて、もっと離れて置かれていたような気もします。
いや、飛び石自体 あったかどうか、定かではありません。

「飛び石、渡らへんか」
この提案に、みな大いに賛同。
ところが 実際に飛び石を渡ってみると、けっこう離れていて 向こう岸までたどり着くのに、一苦労でした。

月日は流れて、半世紀。
あの、神戸震災で妻子を亡くした男性が言っていた言葉が、たぶん6人の胸にも 流れていたのだと。

「鴨川の流れは 全然変わってへんけどね、昔のまんま」