YAMADA IRONWORK'S 本文へジャンプ
和解

文字サイズを変える
文字サイズ大文字サイズ中




あれから、40日が経つ。
オバマ大統領の広島訪問。
もう、マスコミに関連記事が載ることは なくなった。

ニュースとは、そういうものなのだろう。
あれから以後、ニュースのネタに事欠かない出来事ばかり。

だが、あのオバマ大統領広島訪問のニュースで感じた 昇華する魂の昂揚は、消えない。
生中継されたオバマ大統領の広島訪問は、私の中で、一つの大きな区切りであった。


平和とか、安心とか、幸福とか、一見 耳に心地よさそうなのだが、なにかしっくりこない。
掴み所がないのである。

和解という言葉には、その背後に 生々しい感情がある。
恨み、憎しみ、蔑み、・・・
和解は、これらを消し去るのではなく、超えるのだ。
これらの生々しい感情を抱いてもがく自分自身をも許す、そういう寛容を含んでいる。

オバマ大統領の広島訪問が和解に繋がった などと、短絡的なことを言っているのではない。
和解のために これまでなされた、あまたの誠意と努力に、ひとつの大きな灯火がついた瞬間の、魂の昂揚。
生中継のテレビに しがみ付くようにして、私はそれを、震えながら感じていた。


いま私は、不得手な英文をなぞるように、オバマ大統領の広島演説を読み返している、訳文をチラチラ見ながら。
ベトナムからの大統領専用機内で、何度もなんども推敲したという、オバマ大統領の心の底からのメッセージ。
オバマ大統領の 戦争を悪む心に、偽りはない、そう確信する。

4羽の折り鶴が、それを物語っている。