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骸骨ビルの庭

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一気読み という言葉があるのかどうか、あっても良さそうな気がする。
その 「一気読み」の ワクワクする感覚、早く先が読みたいという ページをめくる手が浮き立つ昂揚を、久しぶりに味わった。
宮本輝著 『骸骨ビルの庭』、上下二巻。


戦争孤児という、いまは忘れ去られたような言葉がある。
戦災孤児とも言うが、これは 第二次世界大戦の本土空襲で両親と死別した子どもを指すことが多い。
あの大戦のせいで孤児となった子どもたちは、原爆や空襲だけが 原因ではない。
中国残留孤児も、戦争による貧困で親に捨てられた捨て子(棄迷児)も、母親はいても、進駐軍あいての売春あるいは米兵の強姦で生まれた父無し子(混血児)も、戦争孤児なのだ。

わたしは、昭和20年5月に生まれた。
幸いにして、ほんとうに幸いにして、戦争孤児ではない。
だが、心の片隅に つねに、ひとつ間違えば 中国残留孤児だった、という思いがある。


小説 『骸骨ビルの庭』は、大阪の十三(じゅうそう)淀川沿いに 空爆から奇跡的に残った 「骸骨ビル」を塒にした戦争孤児たちを、彼らの語りを通して描いている。
聞き役は、骸骨ビルから彼らを立ち退かせるために、土地仲介業者から送り込まれた<わたし>八木沢。
孤児たちを育てた パパちゃん(阿部轍正)と茂木のおじちゃんの生きザマが、<わたし>を揺り動かす。
パパちゃんと茂木のおじちゃんと 骸骨ビルで育った浮浪児たちとの心の通い、「雄弁で彩りに満ちた沈黙」に、<わたし>は圧倒される。

もちろんフィクションで、ドキュメンタリーではない。
しかし、巻末で読後感を解説した芥川賞作家・中村文則氏が述べている つぎの文に、大きく頷くのである。

戦後というものを、現在三十四歳の僕は直接知らない。
日本の敗戦後の混乱、そこで生きた人々がいなければ、当然のことながら現在の日本はない。
その時代を知ろうと思い色々なものに触れた時、
自分が最も動かされたのは歴史書よりも残された映像よりも、小説だった。
確かな作家の力によって再現され、言葉によって身体を与えられたものだった。
その失われたものを浮かび上がらせていく想いは、本当に美しい。


著者の宮本輝は昭和22年生まれだから、戦後のドサクサに漂う 逃げだしたくなるような臭いを、出身地の神戸で嗅いでいるかも知れない。
だとしても、これほどの筆致で、あの行き場のない雰囲気を描ける筆者に、妬けるような憧れを覚える。
こんな小説があったことに、何かほっとする。

幼い記憶というものは、反芻して反芻して そのうちに確固たる事実であったように思えてくるものだ。
幼心に焼き付いた光景、京都駅周辺に屯する浮浪児たちの体から発する えずくような臭い、近所のガキ仲間の中にいた混血児の イジメられる時に見せる恐ろしい目、これら はっきりしないモヤモヤ。

おこがましいのもいいとこ なのだが、このモヤモヤを なんらかの形で残すのが、自分の義務みたいに思い込んでいた。
それを、宮本輝のフィクションの力が 「あれほどに雄弁で彩りに満ちた沈黙」に昇華してくれた。
自分の 「役割」というものを ちゃんと果たすこと、「役割」を担うという覚悟を持つこと、それさえ弁えていれば、わたしにだって 「享年八十五」という茂木のおじちゃんの堂々たる人生を全うできるかも、と。


この小説の題名が 『骸骨ビル』ではなく 『骸骨ビルの庭』であることも、戦争孤児という深刻な題材を ある種の救いに導いている。
「骸骨ビル」が痩せこけた孤児たちの象徴なら、「庭」は生きていくための食べ物を産む 温もりある知恵を意味しているのかも知れない。

<わたし>八木沢は、大手電気メーカーを早期退職して 60歳からの自分の人生を模索中の<モラトリアム人間>だと、中村文則氏は指摘する。
同時に、八木沢の目で骸骨ビルの住人たちを眺めるという<小説>を読むこと自体、立ち止まって体験することであり、考えることであり、長い人生の中での貴重な<モラトリアム的行為>だと、指摘する。

確かに 「一気読み」した この二日間は、わたしにとって 極めて貴重な<モラトリアム時間>であった。