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絶好調の片隅に

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絶好調といえば今、テレビドラマ 『逃げるは恥だが役に立つ』が、高視聴率を稼いでいますネ。
放映は次が最終回ですが、恋ダンスは、忘年会シーズンに向けて、ますます絶好調でしょう。

新垣結衣が、ほんとうに可愛いです。
星野源も、ハマリ役!
キスシーンが あんなにドキドキしたのは、何十年振りだろう。

キスシーンで思い出すのは、映画 『また逢う日まで』のガラス越しのキス。
岡田英次・久我美子主演 今井正監督の名画だったと、のちに知るのですが、なぜ中学校の講堂でみたのか、いまでも理解に苦しみます。
記憶に残っているのには、訳があります。

僕たちの小学校では、校外映画鑑賞のカリキュラムがありました。
『キングコング』を、街の映画館へ先生引率で見に行ったのを、覚えています。
一番印象に残っているのは、『蟻の街のマリア』。
子供心に、マリア役の女優、千之赫子に憧れたものです。

中学生になって、校外映画鑑賞はなくなりました。
その代わり、ときどきでしたが、講堂が映画館になりました。
分厚い黒色のカーテンが 外部からの光をさえぎると、日ごろは堅苦しい講堂が、なにかワクワクする空間に変身しました。

『また逢う日まで』の、日本映画史において最高の名シーンと謳われた あのキスシーンで、映写機を担当していた しじら(あだ名)先生が、レンズの前に手をかざして ‘モザイク’したのです。
前後のシーンから、その ‘モザイク’がどんな ‘重要な’シーンなのか、中学生の僕らにだって バレバレです。
しじら先生に反抗的になって にらまれ出したのは、そのときからでした。

以来、映画館でも茶の間のテレビでも、キスシーンをみると、不毛な罪悪感に襲われ続けました。
みくりさんとひらまさんのキスシーンは、そんな不毛な罪悪感など微塵も感ずることなく、ほほえましいワクワク感に満たされたのです。
できっこないのに踊ってみたくなる恋ダンスと共に、絶好調なわけです。


ことしの映画で絶好調は、やはり 『君の名は。』でしょう。

アニメ映画の利点は、みるものが抱く役者に対する先入観や 役者自身が持つオーラから解放されていること、も、そのひとつだと思います。
新海誠監督作品のアニメ映画 『君の名は。』に登場する三葉と瀧は、監督の思いのままのキャラクターで飛び跳ねていました。

わたしがアニメ映画を ‘映画’として意識しだしたのは、松本零士作のSF映画 『銀河鉄道999』の映画版・りんたろう監督作品からです。
最初のシネマスコープ映画 『聖衣』や70㎜フィルム映画 『ベンハー』から受けた衝撃と 衝撃度合いは同じでも、衝撃の種類がまったく違う、アニメ映画からしか得られない、夢でありながら すごくリアルな衝撃。
この映画から少し遅れてヒットした 岩崎宏美が歌う 『聖母たちのララバイ』、それを聴いてイメージしたのは、『銀河鉄道999』のメーテルでした。

メーテル、いい名前ですね。
松本零士が慕う詩人、メーテルリンクから名づけたに違いありません。
メーテルは、大人になる一歩手前の男の子にとって、永遠の理想の女性像でしょう。

映画 『銀河鉄道999』から5年後に、宮崎駿の 『風の谷のナウシカ』に出会います。
『銀河鉄道999』にも 格差社会や機械人間に対するメッセージが伺えましたが、『風の谷のナウシカ』では もっと強烈に環境破壊への警告を発していました。
それまでの ‘マンガ’の範疇を大きく越えて、大人にも、いや大人向けに描かれたアニメ映画ではなかったでしょうか。

勝手に三大革新アニメ映画にしているのですが、『銀河鉄道999』、『風の谷のナウシカ』そして、『君の名は。』。

アニメ製作技術に疎いので はっきり言えませんが、画像の完成度において 『君の名は。』は抜群でしょう。
現実の世界である風景を これほどまでに感情のこもった画像で見せつけられると、美しいというため息しか出てきません。

映画 『君の名は。』には、巧みに練られた いろんな仕掛けが見て取れます。
日常と夢、それぞれの場所として、東京の繁華な四谷と飛騨の山奥の糸守町。
最新世界とレジェンド、その象徴として、スマホと口噛み酒や組紐。
それらを行き来する境界と手段として、たそがれ(「カタワレ時」)と夢(「入れ替わり」)。
これらの仕掛けの具体化が、立花瀧と宮水三葉の入れ替わりです。

フル世代の共感が得られたのも、うなづけます。
「興行収入200億円を突破」も、うなづけます。

ただ、東宝が配給を担当し全国300館の大規模な興行という、仕掛けを見逃してはなりません。
金のかけ方から、違うのです。
だから、どうしても比較したくなるのが、いま 奇跡的にヒットしかけている もう一つのアニメ映画 『この世界の片隅に』です。


監督の片淵須直氏の、朴訥とした人柄に惹かれて、映画 『この世界の片隅に』を観たいと思いました。
でも、大手配給会社が関わっていないので、京都で上映しているのは、イオンシネマ桂川のみ。
この映画の製作を支えたのは、インターネット上で資金を集める 「クラウドファンディング」だそうです。

イオンモール京都桂川というところを 一度も行ったことがなかったので、見物を兼ねて出かけました。
上映の劇場はちょっと小さめで、上映時間も祝日の最終でしたが、観客は半数以上が若者で ほぼ満席。

映像画面は、削いで削いで 必要最小限の、でも活きた描写です。
戦前から戦後にかけて、主人公すずたちの 広島・呉での生活と、迫り来る戦争を描いています。
描かれた映像のどれをとってみても、片淵須直監督の なみなみならぬ思い入れが感じ取れました。

はじめ、映画の題名を 『この世界の片隅で』だと思い込んでいました。
「片隅で」では、なにか抵抗しているみたいです。
すずは、抵抗なんかしません。
「片隅に」だから、ひっそりと生きてゆくすずの姿が、息づくのです。

平々凡々のすずの生き方をみていて、宮沢賢治の 『雨ニモマケズ』の詩が浮かんできました。
  ヒデリノトキハナミダヲナガシ
  サムサノ夏ハオロオロアルキ
  ミンナニデクノボートヨバレ
  ホメラレモセズ
  苦ニモサレズ
  ・・・

三葉の顔と声を おぼろげにしか思い出せないのですが、すずの顔と声は はっきり脳裏に浮かびます。
すずの、あの おっとりした仕草と物言いは、好感を持って いつまでも心に残るでしょう。
すずの声優、のん(能年玲奈)の声と共に。