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最後のインターンシップ

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この3月で、京都市立洛陽工業高等学校という名称の学校がなくなる。
京都市立伏見工業高等学校と統合され、4月から新たに 京都市立工学院高等学校としてスタートする。
毎年 受け入れている洛陽工業高校からのインターンシップは、今回で最後となる。

わたしと洛陽工業高校とのかかわりは、55年前にさかのぼる。

R高校在学中、1年生2年生の2年間、バレーボール部に所属していた。
3年生になって、進学のため部活動を休止したが、2年生の一年間は、一応レギュラーをキープした。
当時は9人制であったが、部員は11名、だからレギュラーになりやすかった、というワケである。
ぎっちょなので、前衛右翼のポジションを確保しやすかった、という理由もあった。

2年生のとき、インターハイ京都南部予選会が洛陽高校であった。
当時は、洛陽工業高校ではなく、「洛陽高校」と称していたと思う。
あのころの洛陽高校は、野球部が強かった。
バレーボール部も、京都では強豪の部類だったと思う。

ちなみに、Vプレミアリーグの堺ブレイザーズに所属する横田一義は、洛陽工業高校出身である。
横田一義は、ミュンヘンオリンピックの金メダリスト、横田忠義の息子である。
男子バレーボールの黄金時代を築いたビッグスリー、大古・森田・横田の横田忠義である。

予選会の前に練習試合があり、R高校は洛陽高校に勝っていた。
勝てると思って臨んだ予選会の試合で、コテンパーにやられた。
向こうはホーム、声援はほとんど洛陽高校向け。
それを哀しい言い訳にして、2年間のバレーボール部活動を終えた。

洛陽工業高校のインターンシップは、平成12年から始まったと記憶している。
発足当初から毎年2名か3名のインターンシップ実習生を受け入れてきて、数えれば50名近くの生徒さんを迎え入れたことになる。

なぜ受け入れ要請をずーっと受諾してきたか、それはわたし自身の体験に基づく。

昭和41年の夏、3週間の夏季実習を椿本チェーンの鶴見工場で過ごした。
鶴見工場はもう現存しないが、当時大東市にあった 「大東椿寮」に寝泊りして 鶴見工場に通わせてもらった。
初めてじかに感じる、仕事をする厳しさと喜び。
会社でのルールを守る大切さや責任感、礼儀や作法、言葉づかい、人との繋がりの難しさや優しさ・・・
社会の、社会人の一端に触れた、尊い経験であった。

今年度のインターンシップは、来年度からは工学院高校の3年生となる 2年生3名を受け入れた。
当社はセットメーカーであるから、その特色を活かした指導をしたい。
浅くても幅広い体験をしてもらおうと、3日間のスケジュールを組んだ。

いかにNC化が進もうとも、機械加工の基本は、普通旋盤作業にある。
初日は、当社のベテラン作業員から3名それぞれに、普通旋盤作業のイロハとコツを教授した。



二日目の午前は、NC複合フライス盤を教材として、大物加工物を精度高く機械加工するテクニックのさわりを伝授した。



二日目の午後は、溶接作業を体験してもらった。
ことに薄板同士の水密溶接を どうしたら実現できるか、その要領を肌で覚えてもらうよう 努めた。



機電一体を旨としている当社の方針を 彼らにも伝えたく思い、三日目の午前は、電気盤の組立作業に携わってもらった。



三日目の午後は、きのうきょうと 当社製品である製麺機械の部品製作の一端を担ってもらったのだから、その製麺機械のデモ機で 実際の麺づくりに挑戦してもらった。

まずは、麺生地づくりとして ミキシング作業。



そして、麺生地からロール圧延で麺帯づくり。



最後に、仕上がった麺帯から切刃(スリッター)で麺線づくり。
作った二八そばは、毎年、インターンシップのみやげとして 持ち帰ってもらうことにしている。



昼食時の休憩時間や午後のクォーター休憩時間に、彼らが 洛陽OBの当社社員らと親しく言葉を交わす光景は、傍からみていても ほほえましいものである。

現場で現実の社会人と接すること、それが彼らにとって どれほど貴重な体験か、わたしには よく理解できる。
このインターンシップを通じて 彼らが、自ら将来の進路や職業を真剣に考え、実社会の一員になる希望と覚悟を持ってくれることを、心から願う。

インターンシップ受講生から 後日、お礼の手紙が届く。
その一部を紹介して、「最後のインターンシップ」を締めくくりたい。


 先日のインターンシップでは 社員の方々から暖かくご指導いただき、ほんとうにありがとうございました。
 貴社での三日間は、私にとって かけがえのないものになりました。
 機械の一部だけを作るのではなく、部品の機械加工、製缶・板金作業、電気盤配線、組立と、さまざまな工程や作業を実際に経験できました。
 三日間働いて学べたことは、何事も丁寧にするのが大事ということです。
 一見 簡単そうに見える仕事でも、やってみると意外と難しいということも、実際にやってみて分かりました。
 少しのミスや傷も許されず、出荷するまでに 多くの手間と時間をかけなければ 一つの製品にならないということが、強く心に残りました。
 時間と手間をかけて一つの製品を自分の手で造り上げて、それがちゃんと動いたときの達成感や喜びは、本当に良い経験となりました。
 いろんな作業をしていると、時間が経つのがとても速く感じられ、それだけ一生懸命になれたのだなと思い、やっぱり自分はものづくりが好きなのだなと思いました。
 会社で働いている方々を見ていると、話しているときは普通だけれど、作業しているときは職人さん という感じで、とても格好良く思えました。
 最終日には、そばを実際に作りました。
 機械で麺を作るところを初めて見て、感動しました。
 こんな風に作っているんだということがわかって、うれしかったです。
(追伸)
 もらってかえったそばを、家で茹でて みんなで食べました。ほんとうにおいしかったです。