YAMADA IRONWORK'S 本文へジャンプ
操山

文字サイズを変える
文字サイズ大文字サイズ中




岡山市には、市電が走っている。
市電が足であったころを知る京都人には、路面電車は懐かしい。
ついつい 乗りたくなる。

五月晴れの或る日の午前、「日本一短い路線」の岡山市電(岡電)の長いほうの路線 「東山線」に乗って(乗車時間17分)、操山(みさおやま)を目指した。

岡山のまちなかにたたずむと、とても懐かしい気分になる。
雰囲気が、時間の流れが、幼いころの京都に似ている。

碁盤の目のような通りも、そう。
街を貫く川も、そう(岡山の旭川のほうが、京都の鴨川より立派だが)。
西には 双ヶ丘に比す矢坂山や京山、東には 大文字山に比す操山。
北に山、南は開けて・・・

岡電東山線終点 「東山」を降りて、東山公園を抜け、かなりの石段を上って 玉井宮東照宮(たまいぐうとうしょうぐう)に出る。
ウイークデーの午前ともあって、公園の遊園地には 人影がまばらだ。
近くに幼稚園でもあるのか、小さなこども連れの若い母親が 二組、自転車を押しながら おしゃべりに忙しそう。

玉井宮東照宮に参拝したあと、裏手に廻って 日本各地にある由緒ある神社が一同に並ぶ敷地を、ゆっくりと歩く。
この小高い森は、小ぶりの吉田山 というところか。
神社の右わき道から県道28号線へ下る。

県道脇に、「史跡 御成松」というのがあった。
  この松は、江戸時代 池田の殿様が墓参りのため、円山の曹源寺まで お籠で道中された道すがら、二股の大きな松の木陰で一服されたことにより、旧くから 「御成りの松」と呼ばれ、この地のシンボルとして親しまれてきました。
そう記した立派な碑が、ひょろひょろの松のきわに立っている。
  この老松は、昭和19年戦時の国策により、木造船の用材として切られ、二代目は松喰虫、三代目は平成6年の大雪の被害をうけた為、平成6年6月 岡山市のご協力により、「四代目御成松」誕生の運びとなりました。
碑は、そう続けていた。

手押し信号の横断歩道で 県道を越えると、東の向こうに こんもりとした山が迫る。
操山だ。
後楽園の借景、標高169mの低山である。

低山とはいうものの、脚力の衰えが著しい いまのわたしには、険しい登山のようであった。
頂上までは 諦めて行かない、中腹の 「三勲神社跡」というところまで。
途中、行きも帰りも、誰一人にも逢わなかった。

大文字山の上から眺める 京都のまちが、わたしは好きだ。
操山から眺める岡山のまちも、好きになった。

まちは、遠くから見下ろすと、とてもやさしい表情に変わる。

また大文字山に登ってみたくなった。