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何日君再来

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野際陽子が出演した最後の映画、ということで、映画 『いつまた、君と ~何日君再来~』をマークしていた。
いつしか時は経ち、気がつけば、京都市内の映画館での上映期間は過ぎていた。

浜大津のアレックスシネマならまだ上映していると ネットで情報を得て、夜7時30分からの一日一回きりの上映に間に合うよう、地下鉄東西線に乗った。
午後3時ごろから激しく降った雨はあがり、浜大津の歩道橋から眺める琵琶湖は、夕暮れ迫る薄日に さざなみをチラつかせていた。


『いつまた、君と ~何日君再来~』は、俳優・向井理の祖母の手記を、脚本・山本むつみ、監督・深川栄洋で映画化されたものである。
主人公・芦村朋子を 尾野真千子が、その夫・芦村吾郎を 向井理が演じている。
主人公の晩年を、おそらく病がかなり進行していたであろう 野際陽子が演じた。

彼女のスクリーン最後の姿を見たかったから というのが、この映画をみる きっかけではあった。
が、館内が暗くなってから最後のクレジットが流れるまで、この映画にのめりこんでしまっていた。

かって テレサ・テンが唄っていた 「何日君再来」が、クレジットとともに流れている。
高畑充希が、透き通るような声で歌っているのだ。

‘いとしい君’が残した反故紙のスケッチブック、その中の一枚、満開の桜の大木の下 花びらの絨毯の上で 背中合わせに坐る男女 その絵が、映画を観終わってからも長く 脳裏に焼きついていた。


劇場を出て アレックスシネマの売店で求めたパンフレットに、こう書かれていた。

戦後70年を越え、想像をはるかに上回る成長を遂げてきた日本、こうした背景には、映画にもドラマにもならなかった人々の生活があった。
『いつまた、君と ~何日君再来~』は、特別な人の稀有な逸話ではなく、ごくごく “普通の暮らし”を一生懸命に生きてきた人々の物語である。
だからこそ、いま、伝えておかなくてはならない、知っていてほしい大切なメッセージが詰まっている。
現代の私たちの心をも揺さぶるに違いない、すべての日本人へ捧げる、あなたの家族の物語である---。

劇場内の観客は、まばらだった。
戦争の悲惨 戦後の混乱を伝えられるのは、三代、孫ぐらいまで なのだろうか。