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祇園囃子

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熊本城の復旧工事が 思いのほか進んでいることを、『探検バクモン』という番組で知った。
それでもまだ 完全復旧には、20年かかると言う。
復旧を心から待ち望む熊本市民の姿が、番組に滲んでいた。
熊本市民にとって熊本城は、こんなにも かけがえのないものなんだ。

爆笑問題の太田光が、3年後の東京オリンピックの会場建設に引っ掛けて、こんなことを言っていた。
熊本城の復旧を 熊本市民みんなが待ち望むように、東京都民の心は オリンピック会場の工事に向いているだろうか、と。

翻って 京都市民である自分を考えてみて、やっぱりコレだと思えるのは、祇園囃子である。
コンコンチキチンコンチキチン・・・が、ことしはひときわ耳に残った。
後の祭りにも この鳴り物が街を流れるから か、いや あと何回 この音を耳にすることができるだろう と考えるから か。
後の祭りが再開されて、今年で4回目になる。

母の手に引かれて 宵山にはじめて連れて行ってもらったのも、姉たちにはぐれないように くっ付いて回ったのも、伝来の家宝を通りから見えるように展示する “屏風祭”を 友人数人でハシゴしたのも、後の祭りだったように記憶する。
それも、主に新町通りを行き来した。

新町通りは、豪商や武家屋敷跡が建ち並ぶ たいへん格式高い通りだった。
当時 キモノで栄えていた室町通りよりも、母も姉たちも そして私も、新町通りの方を気に入っていた。
いまも、新町通りには あの頃の風格が残っている。

北から、三条通りを少し下がったところに 八幡山、六角通りと蛸薬師通りの間に 北観音山、蛸薬師通りと錦通りの間に 南観音山、そして3年前から復興した大船鉾は 四条通りと綾小路通りの間に。
あの頃 新町通りの四条から南は、あやふやな記憶によれば、ご神体と懸装品を飾るだけの居祭りだった。

祇園囃子は、各山鉾によって奏曲が違うと聞く。
私には、その区別はつかない。
どの山鉾の囃子も、過ぎ去った日々を思い起こさせる響きである。

京都を離れた数年を除いて、祇園囃子の響きは、夏の京都に欠かすことはできなかった。
京都を離れていた数年においても、赴任地でこの時期になると テレビのニュースで耳にした。

ことしは、南観音山のお囃子に、長い時間 耳をすませて聴き入っていた。
こんなにも 澄んだ音色だったのか、と、たいせつに 大事に思う。

ゆくもまた帰るも祇園囃子の中(橋本多佳子)