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六角堂

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お昼の12時に、六角堂の鐘が鳴る。
夕方の5時にも、鳴る。
朝はどうか、いまは知らない。

六角堂の鐘の音が聞こえるところに引っ越して、一週間になる。
洛外にしか住んだことのない自分には、この周辺は憧れの地であった。

日本舞踊篠塚流の先代家元・篠塚梅扇さんの遺された随筆 「今は昔・京の四季」に、六角さんの思い出という文章がある。
そこに、‘六角さんのへそ石’が紹介されていた。
・・・裏門のそばにへそ石といって中央が凹んだ六角の石がありますが、今は石畳の中にかくれて気づかずにゆきすぎてしまいそうです。
この石は昔、京都の中心点であったともいはれ、いつも土の上に出っ張っていたために、つまづいて転んだことを子供心にも覚えております・・・

梅扇さんの思い出は、東洞院通りに植木市が立ち、夜店から漂うアセチレン特有の匂いが漂っていた大正時代のことである。
今のような立派な池坊本部ビルは建っていなかっただろうから、六角堂北側から裏門を通って入れたのだろう。
氏の幼き日の遊び場所であった六角堂を、鳩が群がる堂軒を廻りながら、想像する。

お堂を一回りして、南西隅の境内にある お不動さんにお参りして、スターバックスを通り抜け、烏丸通りに出る。
烏丸三条を右折して三条通りを東洞院通りまで進み、南に折れて帰宅、というのが、この一週間の朝の日課であった。
これからもきっと、この日課は続くだろう。

スターバックスの六角堂側はガラス張りで、六角堂の西側面がよく見える。
正面からは判りにくいが、六角堂に拝殿が接続されていて、堂々とした佇まいである。
聖徳太子ゆかりの本尊如意輪観世音菩薩は秘仏だが、遠くから拝するしかない お前立ちの如意輪観音も、自然と合掌したくなる、いい仏さまだ。

西国三十三所十八番札所でもある 頂法寺六角堂は、観音霊場として古来 庶民の信仰を集めてきた。
叡山から下山した親鸞は、この六角堂に百日参籠したのち、法然のもとに走ったと伝えられる。
幾たびかの大飢饉には このお堂の前に救済小屋が立ち、洛中に流入した貧窮者に粥施行がなされた。
洛中の寺々を寺町に集めた秀吉も、六角堂だけは現存の地から移すことができなかったとみえる。

六角堂を隔てた飛地境内に、鐘楼堂が建っている。
以前にも紹介したが、この鐘を撞くのは機械だ。
この鐘も、いくども大火に遭い 再鋳で、銘文は天保年間のものである。
古銘に曰く、
花外 蒲牢の響き 長安 半夜の天
撃つ人は盛徳を輝かし 聞く者は名纒を解く
朝に遠山の碧を渉り 暮に街市の烟にむせぶ
観音妙智力 寿 幾千年か算えん

これから先、命尽きるまで、六角堂の鐘を聴き続けたい。