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アベ政治を許さない

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俳人・金子兜太さんが亡くなった。
98歳だった。

安全保障関連法案への反対が広がった3年前、彼が揮毫した 「アベ政治を許さない」のプラカードを、河原町通りでのデモで見た。
力強い字だった。


つい最近まで、わたしは自民党を支持してきた。
自民党は、危ない方向に行きそうになっても、戦争体験者の党員が辛うじて軌道修正してきた。
大平正芳しかり、宮澤喜一しかり、野中広務しかり・・・・・・
しかし、安倍晋三はいけない。

「戦争を知っている世代が政治の中枢にいるうちは心配ない。平和について議論する必要もない。だが、戦争を知らない世代が政治の中枢になったときはとても危ない」と言ったのは、田中角栄である。

自分の生きた時代がどういうものであったかは、その人のものの考え方に大きく影響を与える。
だから、戦後生まれの安倍氏が戦争体験者のように考えられないのは 当然であろう。
わたしとて、同じこと。

が その心があれば、何があっても戦争だけはいけないとの 心があれば、想像を働かせることはできるはず。
安倍氏には、そういう想像力は皆無と見た。


福島第一原発事故が勃発した時の、管直人元首相のうろたえぶりを、いまでも思い出せる。
あぁ 国のリーダーとは大変なんだなぁ、でも、こういう非常時にいちばんしっかりしてもらわないといけないのが、首相なんだと、あのとき知った。
それができるのは、非常事態法ではなく、リーダーの資質に尽きると。

管直人氏は、おのれの至らなさを恥じて、四国八十八ヶ所の巡礼に出たと想像する。
安倍晋三氏は、ああいう非常時に直面した時、どうであろうか。
第一次安倍内閣の終わりに見せた無責任さを思うと、背筋がぞっとする。


交戦権を放棄した国に、宣戦布告する国はない。
丸腰の人間に刃物で切りつけた者を支持する国連加盟国は、ない。
本当の ‘抑止力’は、「核の傘」なのか 「憲法9条」なのか、今こそ 真剣に考えなければならない時である。

わたしは、専守防衛の自衛隊を認めるものである。
これまでの自民党が憲法9条に 「自衛権」という用語が使われていないことに着目して、自衛隊が日本国憲法違反に当たらないとした解釈を、わたしは否定しない。
しかし、自衛を肯定するにしても、戦争全般の肯定につながってはならない。

安倍政権下での改憲は、その‘ならない’方向へ向かおうとしているのは、明らかである。
9条1項及び2項をそのままにして、3項に自衛隊の存在を明記するという加憲案は、憲法学のド素人でも、その下心は丸見えである。
どうしてもその議論がしたいのなら、まず、3年前の夏に衆院本会議で強行可決した安全保障関連法を廃棄してからに願いたい。
だから、現行の 「憲法9条」の堅持が、いまこそ重要なのである。


悲惨な戦争の体験者、金子兜太さんが訴える次の句を、わずかに戦中派のわたしは、大切に思う。
「左義長や 武器という武器 焼いてしまえ」