懐かしのリスボン |
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『ローマの休日』 という映画に惹かれて ローマを訪ねる人は、後を絶ちません。
わたしは、『過去を持つ愛情』 という映画に惹かれて、リスボンを訪ねました。
ジャカランダという花があります。
紫色のノウゼンカズラみたいな花を、大木いっぱいに咲かせます。
日本ではあまり見かけませんが、ポルトガルでは 街路や塀際や公園に いっぱい咲いていました。
5月ごろ葉のない状態で花をつけ、6月に満開となって ねむの木のような葉をつけだすと、花をパタパタと散らします。
ポルトガルを訪ねた時期は7月ですから、本来は散ってしまっているはずなのですが、今年は5月6月に寒い日が続いて、7月のリスボンでも 花をつけていました。
とくに北のポルトでは、鮮やかな薄紫に彩られたジャカランダを楽しめました。
かわいらしい花なのですが、落ちた花で道をベタベタにするので、ポルトガルの人たちには煙たがられているそうです。
かって植民地だったブラジルからもたらされた、と言われています。
濃い紫のブーゲンビリアより 薄い紫のジャカランダのほうが、ポルトガルには似合うように思います。
ポルトガルのいたるところで、アズレージョという陶板に出会います。
王宮や教会や城壁や駅舎や、そして一般の住宅の壁面を飾っています。
アズレージョとは 青を基調にした装飾タイルのことですが、この青が 得も言われぬ深い味わいのある色なのです。
気品があって どこか弱々しくて、それでいて キリっとした威厳のある、青なのです。
白地のタイルによく映え、タイルの持つ冷たさを、この青がほんわかとさせています。
下の写真は、ポルトガルにある サン・ベント駅です。
アズレージョが、駅に風格を添えています。
イワシの一番うまい食べ方は 炭火塩焼きだ、ということを知っている国民は、日本人とポルトガル人ではないでしょうか。
ポルトガル料理は ソース文化ではなく、塩と胡椒で素材のうまみを引き出す 素材重視の食事です。
だから、ポルトガルの料理は、日本人の口にあうのでしょう。
ポルトガルの料理は、とてもシンプルです。
塩と胡椒だけで味つけられた 魚介の煮込み 「カルディラーダ」は、めっちゃおいしかった。
ポルトガルは、シーフードの国、食の自給率は129%、それに添加物を嫌う国民です。
防腐剤の入っていないポルトガルワインの 旨いこと。
ポルトガルワインといえば ポートワインが有名ですが、わたしは 緑ワイン 「ヴィーニョ・ヴェルデ」が気に入りました。
酒に疎いわたしが、ポルトガルでは 毎食ごとにワインをグイグイ飲んでいました。
リスボンは、とても愉快な街です。
七つの丘の街と呼ばれるリスボンは、平面地図では なかなか判りにくい。
高低差の判る地図があれば、助かったのですが。
旧市街を横切るとき、エレベーターやケーブルカーが役立ちます。
西の丘 バイロ・アルト、東の丘 アルファマ、二つの丘に挟まれたバイシャ地区。
次の写真は、バイシャ地区の北端 「レスタウラドーレス広場」 から バイロ・アルト地区の北東にある 「アルカンタラ展望台」 へのケーブルカー(グロリア線)です。
アルカンタラ展望台から、バイシャ地区のオレンジ色屋根の波が、その向こうのアルファマの丘にサン・ジョルジェ城の砦壁が、見渡せます。
その展望写真も、下記します。
バイシャとは 低い土地という意味だそうですが、文字通り下町。
バイシャ地区の北端が 旧市街の中心である 「ロシオ広場」、そして南端の テージョ川に面して 「コメルシオ広場」。
この二つの広場を結ぶ 歩行者天国の 「アウグスタ通り」。
アウグスタ通りを挟んで、東に ‘銀通り’と呼ばれる 市電の走る 「プラタ通り」、西に ‘金通り’と呼ばれる 「アウレア通り」。
これらの大通りを縫うように、東西南北の小道が 基盤目に走る。
このあたりが、リスボンで最も にぎやかかな?
アウグスタ通りの写真を、一枚。
1755年、マグニチュード9近い大地震が、リスボンを襲いました。
旧市街は ほぼ全滅、ことにバイシャ地区は 津波に飲み込まれてしまったのです。
リスボン大地震の話を聞きながら、2011年の東日本大震災のときの津波を思い出していました。
この大地震の復興のシンボルが、スズカケの並木道 「リベルダーデ通り」 です。
ロシオ広場の北西隣り 「レスタウラドーレス広場」 から北へ、幅90m 長さ1500m、なだらかな登り坂のメインストリートです。
この大通り リベルダーデ通りの両側の歩道は、白と黒の模様が美しい石畳です。
通りの北端は、リスボン復興の立役者、ボンバル侯爵の像が立つ 「ボンバル侯爵広場」。
そして、リベルダーデ大通りの南端のレスタウラドーレス広場に、すっくと立つオベリスク。
このオベリスクをみたとき、映画 『過去を持つ愛情』 の中で ヒロインのフランソワーズ・アルヌールが見知らぬ街をタクシーに乗って巡るシーンの冒頭に現れる塔だと、気づいたのです。
わたしは、このリベルダーデ通りが たいへん気に入りました。
歩いてみたくなりました。
限られた時間と体力を 目いっぱい使って、リスボンの目抜き通りを歩きました。
バイシャ地区南端のコメルシオ広場からアウグスタ通りを北へ、ロシオ広場から北西隣りのレスタウラ ドーレス広場へ。
スズカケ(プラタナス)の木陰が涼しいリベルダーデ通りをそぞろ歩いて、ボンバル侯爵広場へ。
そして さらに北へ、ボンバル侯爵広場の東をぐるりと回って 地下鉄ブルーラインのサン・セバスチャン駅近くにあるホテルまで。
歩数にして、10000歩近く。
リスボンの街を、人気の市電28番線をあえて避けて、市電12番線で巡ってみました。
市電12番線は、ロシオ広場の東隣りにある 「フィゲイラ広場」 から出発して サン・ジョルジェ城の裾をぐるりと遠巻きに巡って アルファマ地区を南下。
テージョ川を見下ろせるサンタ・ルジア展望台に立ち寄り、カテドラルとサント・アントニオ教会をすり抜けて、フィゲイラ広場に戻ってきます。
市電が軒先すれすれに走るリスボン、それはずっとむかし、チンチン電車が走っていた京都の中立売通りを、思い起こさせます。
いま 日本は、あまりにも便利でスマートになり過ぎて、なにか大切なものを失いかけています。
その大切なものが ギューッと詰まった街、それがリスボンです。
喪失感を喚起させる街、リスボン。
サウダーデという言葉があります。
郷愁、憧憬、思慕、切なさ、そんな気持ちを表すポルトガル語ですが、ぴったしの訳語を見つけるのは難しい言葉です。
家庭や両親のぬくもり、無邪気だった楽しい幼い日々、大人になって もう得られない懐かしさ、『過去を持つ愛情』 の中でアマリア・ロドリゲスが唄ったファド
「暗いはしけ」 に込められた感情、日本の 「侘び寂び」 にも似たところがあります。
旅の前に想起したサウダーデは 「愁」 という漢字だったのですが、旅を終えて確信したサウダーデは、喪失感。
喪失感という言葉が、サウダーデをいちばんうまく表現しているのでは と、いまは思っています。
この旅を終えるころ、自分がこの国・ポルトガルに追い求めていたものが すべてこの 「サウダーデ」 という言葉に含まれていることに、気づきました。
ポルトガルの琴線に触れる この旅で奏でられた音色は、どのようなものであったか。
やはり それは、アマリア・ロドリゲスの名曲 『懐かしのリスボン』 であり、色で例えるなら ジャカランダの花の色 薄紫色だと。
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