YAMADA IRONWORK'S 本文へジャンプ
平家物語

文字サイズを変える
文字サイズ大文字サイズ中



人との出会いも 運命的ですが、書物、ことに 古典との出会いには、ひょんな契りとでもいったらいいのか、人知を超えた力を感じます。

戦記ものの 「ものがたり」 は、小学校の頃から読むのが好きでした。
ポプラ社の古典文学全集は、挿絵がたくさん入っていて 読みやすく、ことに 「平家物語」 は 読み出すと おもしろくておもしろくて、挿絵から 勇ましい戦さの情景がどんどん膨らんでいったのを思い出します。


古典としての 「平家物語」 に触れたのは、高校1年の古文の教科書でした。

祇園精舎の鐘の聲、諸行無常の響あり。
沙羅雙樹の花の色、盛者必衰のことはりをあらはす。・・・


テンポのよさ、 『あわれ』に込められた祖父母みたいな親近感、戦いに見る男の潔さ・・・
つりこまれて 繰り返し繰り返し読んでいるうちに、祇園精舎・・・の節を 深い意味もわからないまま 暗記してしまいました。

そんなとき、古文の授業で 朗読する順番が回ってきました。
教科書を見ずに、 『祇園精舎・・・』 から 『其先祖を尋ぬるに・・・』 あたりまで 一気に言ってしまったのです。
ちょっと変わった子だったんですね。
古文の先生が励みと思うておっしゃったのか 友達がふざけて言い触らしたのか、あの子は平家物語をぜんぶ暗記している という噂がたってしまいました。
ほんとうは、初めの所を覚えていただけなんですけれど・・・

引っ込みのつかない事態になって、それで 岩波書店の日本古典文学大系に収められていた 「平家物語」 上下2巻を 母にせがんで買ってもらって、平家物語を一生懸命 覚えようとしました。
でも、とてもとても・・・。長すぎます。
多少意味を理解しながら読み終えるだけで精一杯。
結局、暗記は 『禿髪(かぶろ)』 止まりで、 『吾身栄花』 のずらりと並ぶ平家一族名のところで 投げ出しました。
これが、私の 「平家物語」 との出会いです。


学校を出てからは、平家物語を目にすることはありませんでしたが、つい最近 村山リウさんの「平家物語・熊野路」 という短い紀行文に触れて、平家物語が無性に懐かしくなりました。

埃のかぶった あの岩波本 「平家物語」 上下2巻を やっとこさ納屋から探し出し、ちょっと どきどきしながら、ページをめくりました。

かび臭い匂いとともに、赤や青のエンピツ跡、ちょっとした注記や感想メモ、暗記しにくい個所には苛立った傍線・・・ 若き日の ひたむきな格闘の跡が、どのページにも残っています。


ところで、ポプラ社の 「平家物語」 を読みふけっていた頃は、富士川合戦で水鳥の羽音を 敵の夜襲とまちがえて、 あわてふためく平維盛が情けなく、維盛を 男としてどうしても受け入れがたい人物像に仕立て上げていました。

ところが、岩波本 「平家物語」下巻の 『維盛入水』 あたりのページには、鉛筆でいっぱいに感想が走り書きしてあり、維盛という人物に けっこう興味を持っていた高校生の自分が自分でいとおしくなりました。
おのれと似た性格の人物は好きになれないが気になる という定説どおり、うじうじした平維盛が 気になってしかたなかったのでしょう。


滝口入道に導かれて、平維盛が 観音菩薩の浄土、南方の熊野の海に入水するくだり 『維盛入水』の中で、ひときわ傍線が濃い個所があります。
京に残してきた妻子を思って まだこの世に未練を残す維盛を、滝口入道がこんこんと論す場面です。

『・・・まことにさこそおぼしめされ候らめ。高きも卑しきも、恩愛の道はちからおよばぬ事也。
なかにも夫妻は一夜の枕をならぶるも、五百生の宿縁と申候へば、先世の契あさからず。
生者必滅、曾者定離はうき世の習にて候也。・・・』


生者必滅、曾者定離のところが、真っ黒になるくらい 傍線が乱れていました。


実は、村山リウさんの熊野路紀行文に目が行ったのは、ちかぢか西国三十三所第1番札所 青岸渡寺を尋ねる予定があり 熊野路に興味があったからで、そこから熊野権現と平氏、平家物語へ繋がったというわけです。

11世紀後半、白河院のころから熊野詣でが始まったといいますから、千年の歴史をもつ熊野路。
悲喜こもごもの物語を繰り広げたに違いない、とりわけ平維盛の悲哀を辿る熊野の旅は、西国三十三所巡礼の締めくくりの意味も含め、いまから心楽しい想いです。

それまでに、おそらく いまの私のものの考え方をかたちづくってくれたであろう 「平家物語」 を、もう一度ゆっくり読んでみたいと思っています。