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赤秋

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11月、一年で一番好きな季節です。
今年は、紅葉がかなり遅そうですね。でも、 “燃えるような秋” は もうそこです。


この季節、悲しい歌が似合います。
ちょっと古いのですが、高田みづえが歌ってヒットした 「秋冬」。
・・・季節の変わり目を あなたの心で知るなんて・・・
落ち葉がはらはら舞うのをみると、ついつい口をついて出ます。

岩崎宏美の 「思秋期」。
・・・青春は忘れもの 過ぎてから気がつく・・・。
この歌を口ずさむと、40年前にタイムスリップします。


ところで、青春は年齢じゃない 気持ちだ!なんて いきのいい同時代人が 数名いますが、彼らの不似合いな粋がりを見ていると、やはり年相応がいいと、半分歯がゆさ 半分あきらめで思ってしまいます。
「青春は人生の一時期、青の時代」。そう考えるようになりました。
青春は 懐かしむ対象と化した、と言うことでしょう。


以前テレビで見たのですが、無名塾という役者塾を主幹する俳優・仲代達矢が、その塾の特集番組で語っていたのを 思い出します。
赤秋。青春に対して、赤秋。
心に残る言葉なんですが、一見 隠居的にみえて 実は ほんとうの赤秋なる生き方は、秘めたエネルギーと長けた理性が要るんだろうな と思います。
仲代達矢は、こんなことも語っていました。
若いころ、60歳という年齢は、不惑をとっくに通り越して、悠々自適、どっしり地に足をつけた 堂々たる初老を想像していた。ところが、自分がその年齢をとうに過ぎても、不惑どころか あっちにぶつかり こっちにけつまずき、迷いばかりの毎日だ、というのです。
彼のこの感慨は、実によく理解できます。

私も、若いころは 理想の初老像なるものをもっていましたし、その理想の初老を迎える自信がありました。
ところがどっこい、気がつけば、60歳を通り越した自分は、肉体は致し方ないにしても、気持ちが 醜い薄汚い老人になりかけているではないか、と。
燃える秋、それを下手に追い求めると、薄汚くなるのです。特に男は。

上手に 「赤秋」 を迎えるには、心も体も ほんとうの意味での “大人” になっていなくては 到底できない業なのでしょう。

こんな風に考えて、いつも最後は 「まあ ええやんか」 と思ってしまうのです。
ええ恰好したって 所詮 自分は自分、あるがままがええ と。
それしか しかたない と。


赤秋の心意気を理解できる感性だけは 失わずにいたいと思う、秋たけなわの11月です。