やさしさについて |
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学校を出て最初に勤めた会社で、3年目の社員研修が箱根小湧園で一週間の日程で開かれた。
35年前のことである。
会社側が設定した数件のテーマのほかに、自由課題の討論会があり、私の属していたグループでは 「男にとって一番必要なもの」というニュアンスのテーマが選ばれた。
この討論の場で、年齢は二つ下だが同期入社のK君とやりあった問答を今でも鮮明に覚えている。
K君は運動神経の優れた頭脳明晰な同輩で、いい意味でのライバルであった。
彼は、男にとって一番必要なものは、「勇気」だと主張した。
私は「やさしさ」だと言った。
青臭い激論が夜遅くまで続いた。
8対2の割合で「勇気」を採るメンバーが多かった。
ほんとうの「やさしさ」を理解するには、それを主張する私も含めて、若過ぎたということだったのだろう。
あの時点で「やさしさ」を持ち出した私は、それまでやさしさとは縁遠い生き方を旨としていた。
人を憎み、蔑み、蹴落とすことで、生きるエネルギーの源にしていた。
その半面、心の奥深くで、こんなエネルギーはニセモノだと叫んでもいた。
はっきり違うと言い切る権威あるものを求めていた。
それを、なんとなく「やさしさ」という言葉であらわしていた、ぐらいの段階だったのである。
父の経営する会社に転職してまもなくの頃、母が知人の病気のお見舞いに “くぎ抜きさん”のお守りを求めるのに付き添って行ったとき、門前の標語板につぎの言葉を見つけた。
末尾に、ジョン・レノンと書かれていた。
“やさしさだけでは生きてゆけない。でも、やさしさのない人生なんて、生きていく意味がない”
救われたような気がした。
やっと見つかったという思いだった。
キリスト教が説く 「愛」も、仏教が教える 「慈悲」も、私にはもうひとつピンとこない。
でも、くぎ抜きさんで 一心に孫の病気回復をぶつぶつ祈る背の曲がったお年寄りを見るとき、中島みゆきの“誕生”という曲を聴くとき、金子みすずの“大漁”という詩を口ずさむとき、それらの揺さぶられる思いをひっくるめて「やさしさ」という
やさしい言葉で表現するとき 胸の奥深くに すーっと飛び込んでくる綿雲のような快感が、私を包む。
確かに、やさしさだけでは今の世を生きて行くことはできない。
でも、どうにもならないことがいっぱいのこの世で、ひとがひととして、その人に与えられた ささやかな命をしっかりと生き抜くには、これしかない。
マザー・テレサが教えてくれた「抱きしめる」ことしかしてあげられないという深い深い意味も ここにあるのだと思う。
表現は異なるが、ジャマイカのミュージシャン、ボブ・マーリィが死に直面して発したメッセージ
「自らの運命を全うしろ」という勇気ある言葉は、その背後にある「やさしさ」が濃縮されて 押し出されたものではなかろうか。
私にとって「やさしさ」というのは、大きな大きな永遠のテーマなのだと、つくづく思う。
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