B29 原爆投下機長の死 |
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11月2日の新聞に、小さく報道された記事。
『広島に世界初の原爆を投下した B29爆撃機 「エノラ・ゲイ」 の機長だった ポール・ティベッツ氏が 1日朝、オハイオ州コロンバスの自宅で老衰のため死去した。92歳だった。』
学生時代に広島平和記念資料館を訪れた時の記憶が、よみがえってくる。
「原爆を落としたのは、どんな奴だ!」
あれから40年、原爆が投下された日から数えれば、62年以上が経つ。
B29原爆投下機長 ティベッツ氏は、30歳だったのか。
2日の新聞記事は、こう続けている。
『ティベッツ氏は原爆投下に批判的な人々の抗議行動を恐れて葬儀や墓石を希望せず、遺灰を海にまいて欲しいと言い残した(友人で元代理人のジェリー・ニューハウス氏談)。』
記事には、元広島平和記念資料館館長の高橋昭博さんの話が続く。
『(80年、原爆展がワシントンDCで開かれたとき、ティベッツ氏と対面して)「今さら あなたに恨みを言うつもりは ありません」 と言うと、ティベッツ氏は
「もし、同じ命令が下されれば、私は再び同じことをするでしょう。それが戦争の論理であり、軍人の論理です。だから、戦争は起こしてはなりません」 と語った。この最後の言葉に救われた思いがした。だから許すつもりになった。』
高橋元館長が許すとおっしゃっているのに、なんで私ごときが ティベッツ氏を責めることができよう。
この記事が載った数日後の 朝日新聞の天声人語欄に、ティベッツ氏のことが 取り上げられていた。
そこに、原爆投下の正当性を主張しつづけた ティベッツ氏の もうひとつの顔をみたように思う。
『 高橋昭博さんに会ったとき、被爆で変形した 高橋さんの右手を、約30分の対面中、ずっと握って離さなかった。
「自分が正しいのかどうかもわからない」 と迷う言葉も残している。』
ティベッツ氏が 「遺灰を海にまいて欲しい」 と遺言した本当の意味は、ニューハウス氏がコメントしたような 抗議行動を恐れてではなく、原爆投下以来
ずっと背負いつづけた重荷からの開放を 願ったからではなかろうか。
戦争で 本当にしあわせになったものなど、この世に ひとりもいないのだ。
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