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うなずき上手

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骨董業を営む友人がいます。
大和大路通り新門前上ルで 「やかた」というお店を開いています。
本名の舘義孝(たち よしたか)から採った屋号らしい。 いい屋号です。

「古美術やかた」 のホームページに 『日々』 というブログを載せています。
私の好きなブログのひとつです。

コミュニケーションの達人の彼でも 話の通じない人を評して、こう言っていました。


「通じん奴って、おるやろ。おんなじ人間の姿しとるけど、蛙やバッタのほうが よっぽど話が通じるのとちゃうやろかと思うでぇ。」


そういう人間って いますよ。うなずかない人。
うなずいても それは自分の話にうなずいている人。
あるいは なんでもかんでもに うなずく人。つまり なんにも考えてない人。
いや 自分のことしか考えてない人。

ちなみに、彼は めだかやバッタや釣鐘草とも 上手におはなしができるんやないか、そんな友人です。


うなずくことが技となっている人がいます。
舘義孝もそのひとりですが、こういう人と話をしていると、うれしくなります。
自分って けっこうおしゃべり うまいやん という気分にさせてくれる人。
まさしく技でしょう。
斎藤孝氏は、うなずきは 「項(うなじ)を突く」という 身体文化だと表現しています。

この前 娘が、テレビを見ながらうなずいている私を見て、 おじいちゃん(私の父のこと)とそっくりになったなぁ、 と “感慨” をもらしていました。
そうか、テレビにうなずくことは要らんのか。
注釈ながら、私がうなずき上手ということでなく、単に老けたというだけのことなんですけれど。

たしかに テレビにしろ コンビニにしろ、双方向的なコミュニケーションには なじみが薄いですね。
でも、人間って ほんとうにそれでいいんだろうかと思います。
さびしくないんかな。


いま ブログでやり取りするのが大流行ですね。
また 携帯電話で ところかまわず通話している光景をよく見ます。
やっぱり 誰かとつながっていたいんです。
みんな さみしいんです。
でも、何か欠けていませんか。
視覚や聴覚だけで 満たされるかな。
生身でうなずいて欲しいんやないかな。

うなずきだけではありません。
身体的レスポンス。
私は、これを大事にしていきたい。
半身不随で ものも言えない老人が ベッドに横たわっています。
その老人の口元に耳を寄せて一生懸命 声にならない老人の話を聴こうとしている看護士さんがいます。
わずかの口の動きや指先の動きを うなずきながら 懸命に読み取ろうとしている看護士さん。
私たちの日常生活で あの看護士さんの10分の1でもあれば、争いごとなど 起ころうはずはありません。

うなずき上手な人って、ほんとに魅力的ですね。