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ふたりの先輩の死を悼む

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ことしは 虫の声を聞かずじまいで、冬を迎えた気がします。

同じ町内の先輩 西川昭八さんが亡くなられました。私の一回り上の 74歳でした。
昭和8年生まれだから 昭八、そう言って 自己紹介されていたのを思い出します。
私自身の体調不良で お通夜しか参列できず、自宅から合掌で お見送りさせていただきました。
10年もの闘病で 体も顔も痩せに痩せて、お別れが痛々しく つらく 悲しかった と、家内が話していました。

去年の初め、同じ町内の先輩 今村進さんが亡くなられました。
西川さんのひとつ上だから、享年74歳です。
死の2ヶ月ほど前に、区民の集いで お元気な今村さんにお会いしたばかりでした。

西川さんも 今村さんも、町内の “縁の下の力持ち” でした。
この町内には なくてはならない人だった。
町内が さびしくなりました。

今村さん 西川さん そして私の三人は、部員数3名の 自称 「銅駝町山岳部」 の “メンバー”でした。
山歩きのベテラン 今村さんが、当然 部長です。
大文字山を皮切りに、京都市主催の北山トレッキングに参加し、二の瀬から氷室を抜け京見峠を越えて鷹峯へ至るコース、雲ケ畑を起点として中川を越え菩堤滝を見て沢池へ出るコースを踏破しました。
愛宕山の千日参りをご一緒したのが、三人で山歩きした最後だったと記憶します。
12年前のことです。

その後、今村さんには比良山地へ連れて行っていただきましたが、西川さんは 徐々に骨の難病に侵されていきました。

トレッキング途中、氷室の三人だけの隠れ場所で 今村さん特製のコーヒーを飲みながら、西川さんが 飾り気のない調子で話した 「生・老・病・死」 の言葉が、忘れられません。
10年間の闘病生活のあいだ、彼が 「生・老・病・死」 と どう向き合って過ごされたのか、お聞きしてみたかった。
いや、そんな生易しいものでは なかったのでしょう。
そのときそのときを 少しでも楽な姿勢 楽な息遣い 楽な眠り 楽な排泄が得られれば と、ただただ それだけではなかったか。

家族や友人や隣人、職場の同僚、あるいは見知らぬ人々に支えられ 助けられて、人は生きています。
そのほとんどは、ごくごく普通の 善良で正直でまじめな市井の人々です。
私は、このような市井の人々を いとおしく思います。
今村さんも 西川さんも、私にとって 敬意をもって接することができた 特別な市井の人でした。

心から、ご冥福をお祈り申し上げます。