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麺機よもやま話

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半年ほど前に、読売テレビで「製麺機を創ったニッポン人」という番組が放映されました。
ロール製法の製麺機の発明者 眞崎照郷(まさき・てるさと 1851~1927)が、いかにして 製麺機を産み出したかを描いた実話ショートストーリーでした。

眞崎照郷は、九州・佐賀の造り酒屋の息子でしたが、乾麺の盛んな土地柄もあって無類の麺好きでした。
麺好きが昂じて、麺を機械で作ることに夢中になります。明治13年のことです。
身上を潰すまでに製麺機創りに没頭した挙句、ついに明治21年2月に「麺類製造機械」の特許を得たのです。
現在、うどん・日本そば・中華そばからインスタントラーメンにいたる あらゆる麺類を製造する製麺機械の原形の誕生です。

その10年後、大隈鐵工所の創業者 大隈栄一は、名古屋で「大隈麺機商会」を立ち上げます。
大隈はもともと眞崎照郷と同じ佐賀県の出身で、巡査をしていました。
岳父の鶴沢栄吉が 製麺の機械化に成功し、その事業を助けようと大隈は巡査を退職。
製麺機を売る為に、きしめんやうどんなど製麺業が盛んで、素麺産地の伊勢に近い名古屋進出となりました。
そしてさらに その約10年後、大隈は眞崎式麺機をベースにして独自の製麺機を世に送り出し、明治42年5月、「大隈式製麺機」として特許認可されました。

当社は、当社の初代社長が大隈式製麺機の関西地区販売を代行したのが始まりです。

製麺機の重要な部分である「切刃」(麺帯を細く線状にカットするスリッター)は、その製作に精度の高い工作技術を要します。
その工作機械である旋盤は当時外国製でしたが、大隈はその精度に満足せず、独自で切刃専用の旋盤を作らせました。そして精度の高い測定器のない時代に 噛合い精度0.05㎜を実現したのです。

その後、大隈麺機商会は発展的に株式会社大隈鐵工所となり、昭和26年の製麺機製造を最後に 工作機械の専門メーカーとして生まれ変わりました。
現在、オークマ株式会社となり、押しも押されもしない世界的な工作機械メーカーに成長しています。

オークマに限らず、中部地区の工作機械メーカーの中には、もともと工作機械以外の製品を作っていた会社が 多くあります。
ヤマザキマザックは畳を作る製畳機を、また豊和工業は豊田佐吉が発明した動力織機を製造していました。
いまや工作機械は、その加工精度を 1μから0.1μ(1万分の1㎜)単位まで向上させるよう 開発にしのぎを削っていますが、その礎になったのが製麺機だったのです。

切刃について、もう少しお話。
情報漏洩防止対策に絡めて、オフィスではもちろんのこと、いまや家庭でも広範囲に普及した シュレッダーは、昭和30年代初めに明光商会の 高木禮二氏が製麺機で麺帯が切刃から麺線になって出てくるのをみたとき、そのヒントを得たと聞きます。
線香メーカーK社と当社が共同開発した線香連続製造ラインも、20年前 K社の常務が乾麺製造ラインを見て当社に依頼されてきたことが始まりでした。

日本で産まれた製麺機は、いろんな分野に影響を与えているのですね。