YAMADA IRONWORK'S 本文へジャンプ
顎関節症

文字サイズを変える
文字サイズ大文字サイズ中



氏家達也 先生

12年前 同じクラブの小野さんに紹介いただいて 氏家先生に 歯の噛み合わせを診察いただいて以来、徐々にではありますが、やっと 自分なりに納得のいく咀嚼ができるようになりました。
ほんとうに ありがとうございました。

噛み合わせの悩みを 体全体から診ていただき また わかりやすく説明していただいたおかげで、顎関節症は 私の場合 習慣病という自業自得の病だということを 認めることができました。
また、初めて先生に診ていただいた少し前から始めた 気功太極拳を通して、その思いを強くできたのだと思います。

通院に 近江八幡までの新快速車中で 本を読んだり 車窓から湖東の景色を楽しんだりして、仕事を離れて いろんなことを考えることができたのも、おまけながら 大きな収穫でした。

この10年ほどの間に、素人ながら自分なりに 顎関節症について いろいろ感ずるところがあり、一患者の 「その後」 に関するご参考になればとも考え、お礼を兼ねて 記るさせていただきます。


どっちが先に自覚できたか わかりませんが、この世に何一つ不必要なものがないのと同様に 人間の体のどの部位も 何一つ不必要なものはない、加齢とともに衰える体のすべての機能がいとおしくなって しだいに そう思うようになりました。
金子みすゞの詩に惹かれるのも、そのせいかも 知れません。
生まれながらの病も多く、こんなたわごとを言えるのは 仕合せすぎるのでしょうが、少なくとも私の場合は 顎関節症は生活習慣病だと反省しております。

30歳台後半から40歳台を、まったくの自分の我儘から、毎日 いらいらした状態で過ごしてきました。
聞こえは恰好いいようですが、文字通り 歯を食いしばって あたふたする毎日。
食事どきに仕事のことばかり考えていて、せっかく作ってくれた家内の料理も 何を食っているかさえ 憶えていないような、罰当たりな食生活でした。
しょっちゅう 胃痛と頭痛に悩まされ、肩こりがきつく、睡眠障害がはなはだしくて 眠剤なしでは眠ることができない状態が続きました。

50歳になろうとする ’95年の年明け早々、夜中に手足が痺れ出し、胸が大きくどきどき脈打って呼吸が早まり、血の気が地面に吸い取られるような錯覚に襲われました。
体が言うことをきかないのです。

救急車で運ばれた病院で、当直の看護婦さんが 自分の吐く炭酸ガスで治りますから安心してください と言って 鼻と口をすっぽりナイロン袋で覆ってくれました。
看護婦さんの言うとおりでした。
あの恐ろしさはどうしたんだろうと、自分でもあっけにとられる思いでした。
その日の診断で 「過呼吸発作」 と呼ばれる一過性のパニック障害とのことでした。
二日間 安静にして、退院しました。

その後、またあの発作に襲われるんじゃないかと心配で、外出も億劫になっていました。
社用で神戸へ行く途中、満員のJR新快速の中で またあの発作が起こったのです。
新大阪駅構内の休憩所へ運ばれて 簡易ベッドに横にならしてもらい、駅員さんに持ち歩いていたナイロン袋をカバンから出してもらって 自分で鼻と口に被せて落ち着きました。
それからというもの、生きる力が湧いてこない気分で、ますます滅入ってしまいました。

今度は、口が開かなくなりました。
人差し指一本がやっと通るくらいしか 口が開かないのです。

当時かかりつけの歯医者さんに相談して、京都市立病院の口腔外科を紹介してもらい、そこでスプリントを作ってもらって しばらく装着していましたが、偏頭痛がひどく 改善が見られないので 京大病院の口腔外科で診てもらうよう薦められました。

’97年6月、「右側顎関節症」と言う病名で 京大病院へ入院し、右顎関節円板切除および顎関節形成手術をうけました。
余談ながら、C型肝炎のキャリアであることも この入院で知りました。

口腔外科病棟には重い病気の方がいっぱいで、相部屋になった古池重一さんという 下顎を切除された患者さんから、生きる大きな力をいただきました。
古池さんは、私が退院して1年後に亡くなられました。

手術のおかげで口は開くようになりましたが、その後も 眠剤を欠かすことができず、自分の顔がムンクの叫びのように歪んで思えて、憂鬱な気分から抜けることができませんでした。
氏家先生に初めて診察していただいたのは、この頃です。

ながながと 情けない “病歴”を記るさせていただきました。
なんのことはない、すべて わが身から出た錆ばかりです。

私の顎関節症の遠因は、いろいろ考えられます。
もともと歯性が悪いところへもってきて 幼少期に歯を磨く習慣に欠けていたこと。
前歯はお見事にエナメル質が取れていました。
少青年期にかかっていた歯医者さんの治療方針で 無闇としか考えられない抜歯を重ねたこと。
右上第一大臼歯の抜歯で鼻腔へ貫通し 炎症を起こして蓄膿症状が長く続きました。
同時に 差し歯の具合が悪く 噛み合わせに違和感が抜けませんでした。

これらは はっきりした遠因ですが、年齢が上がっていくに従い 筋力の低下 特に大腿筋が弱くなったことが、 顎関節症の引き金になったのでは と考えています。

若い女性に 顎関節症が多く見られると聞きました。
若い女性と言っても、おそらく頬のこけた 顎の筋力に乏しい顔立ちの女性でしょう。
顎の筋力が痩せ細っていることが、顎関節症になりやすい要因に違いありません。
しかし、太極拳を通じて 自分の体に興味が湧いてきて気づいたのですが、大腿筋 とりわけ内腿の筋力が顎関節の円滑な機能に大きく影響しているのでは と、考えるようになりました。

私の場合、噛み合わせの調子が悪くなると 決まって 右肩甲骨上の窪み部と 右足内腿付け根の筋が気持ち悪くなり、こういう考えを強く持つ理由です。

競輪選手に顎関節症患者が多い と、氏家先生からお聞きしました。
自転車のサドルで恥骨間が開き 仙骨に悪影響を与えて それが顎関節をずらせる原因になるのでは、と いうことだと思います。
確かに 私もあのころ、よくサイクリングをしていました。
かと言って、恥骨が開くほど 長時間 しかも激しく、自転車を漕いでいたわけではありません。
競輪選手のように 大腿筋が鍛えられていたわけでも、さらさらありません。

尾てい骨から股関節部分の骨と それらを取り巻く筋肉とをひっくるめて、いわゆる 「腰」が、顎関節と密接な関係にあるということなのでしょう。

当時の私は、内腿の筋力が極端に衰えていました。
内腿の筋力が弱いと、腰が据わりません。
私に限らず、長時間 椅子に腰掛けてする仕事が常の人は、内腿筋の力が 弱いのではないでしょうか。
椅子の構造にも拠りますが、腰掛けていると 内腿筋は常に圧迫され 血流が悪くなり、体重はほとんど臀部にかかって 内腿筋を強化する力が働きません。

ちなみに、「坐る」姿勢では、内腿に体重がドンとかかり、しかも 脛で 山の背に乗っかるように支えられて 椅子の座でべったりと支えられるよりは 遥かに自由度の高い支えられ方になります。

生活習慣も 大きく影響していると思います。
いまや 「坐る」習慣は 過去のものになりましたし、トイレで 「ちょちょくばる」ことも 少なくなりました。
生活の中で 内腿筋が鍛えられるチャンスが、乏しくなったのです。

冒頭にも記しましたが、私の場合の顎関節症は、一にも二にも 生活態度の至らなさから来ています。
まず、毎日の心構えを安らかにするよう 肝に銘じております。
それと同時に、大腿筋を強めて 腰がしっかりする努力をせねばならないと思っています。

人間の体は、どの部位も すべてが互いに関連しあっています。
そのことを 氏家先生に歯の噛み合わせ治療を施していただきながら、強くしっかりと自覚できました。

毎日 おいしく食事が採れる喜びを取り戻していただき、ほんとうにありがとうございました。