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新藤兼人 著 「いのちのレッスン」

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JR新快速琵琶湖線車中で、新藤兼人 「いのちのレッスン」 を読んでいます。
最終章の末尾項 「『愛』 とは誠実なこと 」 をくりかえし読んでいます。


わたしが子供のときに、ゆうがた遊びほうけていると、お母さんが飯になったから早く帰ってこい、と叫んでいる。
「兼さ~ん」、「兼さ~ん」と、家の間口に立って、遠くから何度も何度も 叫んでいる。
わたしは遊ぶのに夢中だから帰らない。
それでもわたしが返事をするまで何度も、お母さんは呼んでいる。
その声が夕闇のなかを伝わってくる。
これがわたしの感じる愛である。



大津駅から、ご婦人が 盲導犬に導かれて乗車してきました。
近くで見ると 盲導犬はけっこう大きいから、最初はちょっと引いてしまいましたが、実におとなしい。
乗車位置が定まると、身じろぎもせずに 主人に寄り添っています。

変な話ですが、自分の役目を認識してそれに誠実に行動しているこの盲導犬が、偉いやつだと思いました。
“人間ができている” と。
愛すら 感じます。

目の不自由なご婦人は この盲導犬を絶対的に信頼している、彼女のそぶりやしぐさで、それがよく判ります。
盲導犬への愛です。

本 「いのちのレッスン」 は、こう続きます。


わたしの感じる愛とは、人のからだのなかにしみこんだ誠実さなのだ。
なんの計算も技巧もなお、素朴な誠実さなのだ。




この本 「いのちのレッスン」 は、去年の暮れ12月11日から数回 NHKラジオ放送の番組 「私の本棚」 で朗読されたのですが、聞き逃した日が幾日かあって 残念で 本屋さんに取り寄せてもらいました。
このときの 「私の本棚」 の声優は、坂脩(さかおさむ)さん といいます。
落ち着いた 低音が耳にとても快い 声優です。

わたしたちの工場の廻りに植えたささやかな樹木は 四季折々に花を咲かせてくれますが、それを愛でてくださる方々のなかに 三輪千鶴子さんという方がおられます。
坂脩さんは、三輪さんのお兄さんです。
「いのちのレッスン」 の放送も、三輪さんに教えてもらいました。

三輪さんには、坂松男さんという 画家の弟さんもおられます。
個展の案内状をいただいて 彼の絵を見に行ったことがありますが、柔らかなやさしいタッチの ほのぼのとした作品でした。

そんなご縁の「いのちのレッスン」 は、96歳になる映画監督・新藤兼人の ほとばしり出る魂から発せられたインタビュー本です。

ビリーフという ことばがあります。
信念 と訳されることが多いですが、宗教的あるいは哲学的な香りが強い言葉だと思います。
ビリーフの人、新藤兼人氏を そう呼んでみたくなりました。

わたしは無宗教だが、もしわたしが考えるような宗教があるとすれば、そういう人と人との つながりの心だと思う。』 と 新藤氏自身がいうように、96年間の重い人生が かもし出す 彼のビリーフは、びくともしません。

プライドという ことばがあります。
つい最近まで、わたしは この “プライド” を崇拝してきました。
プライドの塊のような イチロー選手も 朝青龍関も、すばらしいアスリートです。
でも、人間的に 好きになれない。

イチロー選手も 朝青龍関も、きっと ほんとうは 心根のやさしい青年にちがいありません。
なのに、プライドという 鎧で身を固めているから、それが見えない。いや、見ささない。

青年期には、プライドは大切です。逞しく生きる力です。
ただ、プライドは 他人の目を気にしています。
ゆるぎないもの とは言いがたい。

ビリーフは違う。他人の目など くそ食らえ なのです。


近江八幡からの帰り、近江八幡駅で 新快速・姫路行きが いま 発車したばかりでした。
とても寒く、暖房の効いた きれいな待合室が ありがたいです。
読み終えた 「いのちのレッスン」 を、パラパラと 読み返しています。
よろよろした線や 傷が付くくらい強い線で 傍線を引いた個所を、読み返しています。


・・・顔のシワとシミは年寄りの勲章だが、人とお会いするときは少しでも シャキッとした顔でいたい。

・・・生きるとは、その過程が大事なのだと、つくづく思う。いかに生きるか 今、そのときに 心をこめて生きていたなら、老いは怖くない。
肉体は急降下で衰えても、それに反比例するように、老いは心に、わが人生の すばらしい思い出を運んでくれる。

・・・老人は、静かな心の美しい枯れ木になると思われているが、それは嘘だ。少なくともわたしには当てはまらない。先がないから、老いというヨロイに包まれているから、よけい心はせわしい。今さら焦ったって どうにもならない。
それはわかるが、心は何かを欲して ざわめいている。

・・・親と子は一つ屋根の下で巣くっていなければ 外的から己を守ることはできない。しかし 守るべきは家ではない。家族の愛なのだ。

・・・抵抗してほしい。へんに尊敬されるより、抵抗され、批判される父親のほうが、子供の血となり肉になるのではないか。子供の自立の助けになるのではないか。とくに、男の子にとっては、父は潜在的な “敵”ではないか。

・・・子供は母に愛されなければいけないのだ。

・・・世の母たる女性にいいたい。子供とは、こんなにも母を恋うものである。世の大人にいいたい。わが母を礼賛してほしい。

・・・ほんとうに歴史を描いてきたのは、名もなき庶民である。

・・・人間は真面目に生きること。これが何よりも大切だと思っている。ところが、効率的にものごとを運び、要領よくいきることが かっこいいと思われるようになってきたのは、いつからのことだろうか。時代がどう変わっても絶対に そんなことはない。人間としていかに生きるか。その第一条件は、平凡のようだが、一歩、一歩、真面目に生きることである。

・・・状況が変わっても、時代とはいつも混沌としているもの。いつの時代もその混沌とした息吹のなかで、人々は必死で生きているのだろう。人は そう生きる運命にある。

・・・つくづく思う、人に恵まれた人生が 何よりの幸せだと。

・・・人は自分のシッポをしっかりと見据える必要がある。そのシッポが、たとえ自分にとって気に入らないものであっても、そこから目をそらしてはならない。目をそらしたら、自分とは何かが理解できないからである。

・・・われわれは卑怯なことをするな、といわれて育った。卑怯だぞ、といわれることは、最大の恥じであった。今、このことを声を大にしていいたい。

・・・人は誰でも一本のシナリオを書く内容をもっている。生涯にたった一本、自分のシナリオを書いてみることもムダではない。誰のためでもなく自分のために。


寒いので 列車到着ぎりぎりまであたたかい待合室にいて 乗客の列に並びそこない、すいていそうな先頭の車両に乗車しました。
一席だけ空いていたところに座って、この本を読んでいます。

ひとり言のような はっきりとした澄んだ声が、前のほうから聞こえてきます。

「まえ よーしっ」 「レバー よーしっ」 「しんごう よーしっ」 ・・・

運転士が、指差し確認しながら 操作を口頭で復唱しているのです。
運転士の真剣な横顔が、ガラス越しに見えます。
仕事に没頭している男の顔は、まぶしいくらい いい顔です。


「先生を誇る」 のところで出てくる 新藤氏の恩師が、新藤兼人監督で 映画になります。
『花は散れども』 という題名になるそうです。必ず 観ようと思います。
この本は、次の一行で 締めくくられています。


煩悩を抱えるわたしではあるが、最後の最後まで素朴でありたいと思う。誠実でありたい、と願うのである。