愉快であった |
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NHK大河ドラマを、最近 みなかった。
どうしても観たい という気持ちが湧かなかったからだが、いま放映している 「篤姫」 は録画してでも観たいと思う。
主人公 於一の宮崎あおいがみせる いやみのない演技が好ましいし、彼女の幼なじみの尚五郎役 瑛太のさわやかな笑顔が、ドラマを明るくしている。
なによりも、於一の両親を演じている 長塚京三と樋口可南子が 脇をしっかり固めてくれているのが、このドラマを軽い流れに終わらせていない。
この前の放送分 「父の涙」 で、於一が藩主 島津斉彬の養女に入る日、娘の改まった別れの言葉に対して 父 長塚京三は こう返す、「愉快であった」と。
愉快であった、いい言葉ではないか。
あの場面で、ほかにこれ以上ふさわしい言葉があろうか。
愉快であった 父と娘とは、なんと素晴らしい関係であろう。
愉快であったとの言葉の裏には、父の 娘への深い愛情と惜別と潔さが あふれんばかりに感じられるのだ。
もし 死に際にこの言葉が発せられるなら、その人の人生は素晴らしいものであった証左である。
「愉快であった。」
何ごとにも こう言ってお別れできる一生でありたいと、心から思うのである。
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