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チャールトン・ヘストンの死

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手元に、わたしが大切に保管してきたパンフレットがある。
パラマウント映画 「十戒」 の、薄っぺらい宗教画の絵本のような 手引き書である。

登場人物の写真までが、肖像画のように描かれている。

モーゼ:チャールトン・ヘストン
ネフレテリ:アン・バクスター
ラメシス二世:ユル・ブリンナー ・・・

セシル・B・デミル監督の、私が見る初めての シネマスコープだった。

無造作に挟まれていた半券、京都・祇園会館、税共入場料210円、いー6、指定席御観覧席。

この映画を観て 度肝を抜かれたのは、わたしだけではあるまい。

映画が最大の娯楽だった時代に、チャールトン・ヘストン→十戒→シネマスコープ→ハリウッド映画→アメリカ という回路が、少年のわたしの頭に 固定されたのである。

チャールトン・ヘストンが 即、モーゼであり、十戒という 凄い “訓え” であり、行き着くところが アメリカだったのだ。
チャールトン・ヘストンという 背が高く胸板の厚いエイリアンを通して、アメリカ人と そのエイリアンの住む大国 アメリカを、一種の恐れを持って 憧れた。

幼児期のかすかな記憶にある エイリアン、進駐軍の黒人兵の 大きな白い手のひらと 真っ白い歯 そしてあの独特のにおい、それを品格ある巨人に仕立てなおして、チャールトン・ヘストンは 少年のわたしの 抜き差しならない存在となった。


その チャールトン・ヘストンが死んだ。

晩年、認知症を公表しながら 日本のメディアにも出演したり、全米ライフル協会会長の面をたたかれて マイケル・ムーアのドキュメンタリー映画では 彼への敬意を欠いた扱われ方をされたりもした。

でも、そんなチャールトン・ヘストンを見ても、少年の日のわたしを夢中にさせてくれた彼の威光は びくともしなかった。

その彼の死は、わたしにとって アメリカの喪失でもある。


折りしも、ドルの権威は 地に落ちつつある。
アメリカの威光が 翳りだしたのだ。
あの敗戦とともに それまでの威勢をへし折って アメリカ一辺倒で歩んできた日本も、ここへ来て政治も経済も そして国民の心も おかしくなってきた。

アメリカを上手に見切りをつけるときが来た、ということなのかもしれない。

しかし、わたしは そう上手く立ち回ることは とうてい できそうもない。
三つ子の魂 百までも の喩え通り、チャールトン・ヘストンで代表される アメリカの品位は、いつまでたっても わたしの永遠の憧れに違いないのだから。