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見上げてごらん夜の星を

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父母の位牌の前に、滋耕童子位と書かれた小さな位牌が寄り添っている。
昭和20年10月15日、俗名 山田耕滋、四才。
私の兄である。

両親が他界したいま、幼くして亡くなった兄を思い出すものは、朝夕に仏壇に向かうときのわずかなあいだ 記憶すらない兄のことをしばし考えるわたし以外に、もう誰もいない。


いしだあゆみが歌ってヒットした 「ブルーライトヨコハマ」 は、母のお気に入りの曲だった。
当時、母の年齢からして そんなハイカラな母の好みが意外だったが、この曲に聴き入る母の姿は 決して嫌いではなかった。

先日、NHKラジオの “昼の憩い” を聞いていたら この曲がかかっていて、母の好ましい一面をふっと思い出した。
いま聴いても、ほんのりとした ほんとにいい曲である。

ところで、 「見上げてごらん夜の星を」 が 父の好きだった曲ということではない。

ずいぶん昔のことになるが、祖母が障子の滑りが悪いので困っていたのを思い出して 敷居にろうそくを擦りつけていたとき、少し酒が入った父が 普段は涙なんか見せたことがないのに、そのときは 目を潤ませて わたしに話しかけてきた。


耕滋は 汽車が好きでなあ。
マッチ箱をそこの敷居に走らせて よく一人で遊んどった。
おもちゃらしいもんが なんにもなかった時代やったから かわいそうなことをした。



こう 父が独り言のように話しかけた そのすぐ後ろのテレビで、坂本九が 「見上げてごらん夜の星を」 を歌っていたのである。

そのことがあってから、この曲を聴くと 父を通して想像する兄を思うようになった。

かぞえどし4歳といえば、上の孫の陸玖と同じ年頃である。
あまり肉親に感情を表さない父の目から見ても、どんなにかわいく思われたことか。

兄は、赤痢に罹って 公立の病院で亡くなった。
当時 法定伝染病である赤痢に罹ったものは 隔離病棟で病魔のなすがままだったと、祖母が涙ながらに話していたのを思い出す。
幼い兄は 両親から離され どんなに心細かったことか、祖母の嘆きがよくわかる。

ペニシリンさえあったら・・・これが 酒で乱れた父の決まり文句だった。
ヤミでペニシリンを手に入れることができる開業医を知っていた父は、あんな公立の病院へ入れたばっかりに 兄を死なせてしまったと、悔やんだ。
この開業医のおかげで、死にかけのわたしは ペニシリンに助けられて 生き延びた。

酒が入ると、父は ときどき思い出したように 兄が死んだ病院をなじった、それを まるで母の責任のように。
母が一番つらいに違いないのに・・・子供心に母の心情が理解できたから、母を責める父を憎んだものである。


映画 『第三の男』 のなかで、オーソン・ウェンズ演ずる ハリー・ライムが ペニシリンを水増しして 金を不当に稼いでいたが、そのことで、役者としてのオーソン・ウェンズには好感を持ちながらも ハリーをどうしても許すことができなかった。
心理的なペニシリンアレルギーなのかも知れない。


小さな兄の位牌を、袖の端で拭く。
ここまで生き延び得たのも、この小さな兄の命をもらったからのように思えてならない。

見たこともない、写真すらないのだから 孫の陸玖の顔をダブらせて想像するしかない兄の顔。

「見上げてごらん夜の星を」 を口ずさむしか 近づくことができない、でも この曲を口ずさむと、父がこよなく愛した兄の姿が、はっきりと浮かんでくる。

わたしは、この曲を 大切で 宝物のようにいとおしいと思う。



見上げてごらん 夜の星を 小さな星の 小さな光が
ささやかな幸せを歌ってる
見上げてごらん 夜の星を ぼくらのように 名もない星が
ささやかな幸せを祈ってる

手をつなごう ぼくと 追いかけよう 夢を
二人なら苦しくなんかないさ

見上げてごらん 夜の星を 小さな星の 小さな光が
ささやかな幸せを歌ってる

見上げてごらん 夜の星を ぼくらのように 名もない星が
ささやかな幸せを祈ってる