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映画 「ひめゆり」

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去年 この長編ドキュメンタリー映画 「ひめゆり」が上映されたとき、またかという思いが ふっと掠めた。

『ひめゆりの塔』 として 戦後いくどとなく上映された映画の どうもしっくりこない印象が、残像としてあったからだと思う。
これでもかと言わんばかりの 作り手の意図が、こちらの想像力を同じ方向へ無理やり引き連れていこうとする、そういう誇張と扇動が わたしには うっとうしく感じられて、同じようなものと勝手に思い込んで この 「ひめゆり」は 観ず仕舞だった。

「ひめゆり」 のチラシの裏に書かれた 演出家・宮本亜門の次の一文が、わたしに この映画を観るチャンスを与えてくれた。


私の一生のお願いです。 「ひめゆり」 を観てください。
出来れば世界中の人に観て欲しいのです。
次の世代に伝えて欲しい、現実を感じて欲しい。
心がここに詰まっているからです。



映画 「ひめゆり」は、生き残った “ひめゆり学徒隊”の女学生たち、今は80歳を越える “おばぁ”たちに、ドキュメンタリー映画監督・柴田昌平が 13年の歳月をかけて誠実に 根気よく 真実を伝えたいというひたむきな思いをぶつけて、わずかな説明的記録映像のみを挿入して インタビュー形式で 丹念に淡々と綴った作品である。

“ひめゆり学徒隊”に対して抱く 悲劇のヒロインのイメージを さわやかに砕け散らせて、「殺してください」 と叫んだ あの時の 誰にも代弁されることのできない記憶を とつとつと搾り出すように語る “おばぁ”たちに、よくぞ語ってくださった、よくぞ生き残ってくださった と。

この思いは、彼女らが等しく 「生き残ってしまってごめんなさい」と語る言葉に もう とても悲しく。

それでも、この映画を観終わったあとの このすがすがしさは、どういうことだろうか。
大きな大きな傷を負いながらも、 だからこそ、 生きることの 平和なことの ほんとうの素晴らしさを骨身にしみている “おばぁ”たちは、なんと魅力的なことか。


語り手のひとり 比嘉文子さんは、この映画のパンフレットに 次のようなメッセージを寄せている。


私が子供の頃、親が星空をながめて、先祖から言い伝えられた話をしていました。
「箒星(ほうきぼし)が出たら、また戦(いくさ)が起こるのではないか」。
ほうき星とはハレー彗星のことで 70年あまりの周期で訪れます。
70余年たつと、親たちも死に、戦争を体験した人たちも亡くなり、指導者たちが戦争を
美化しようとします。
私の親が言っていたことは そのことを戒めているのだと思います。
戦争の美化は絶対にさせたくないと思っています。
そのためにも、若い人たちは真実を見つめ、学び、しっかり行動していって欲しいと願っています。



反戦の心は、イデオロギーや政治や理屈ではない。
戦争がいかに人間を鬼畜にするか それを その地獄をくぐってきた いとしい人々の叫びなのである。

映画 「ひめゆり」に、わたしが 拙い言葉で言い続けてきた反戦の心の真実を、観ることができた。

「忘れたいこと」を話してくれた “ひめゆり学徒隊” のおばぁたち、生き残ってくれて ほんとうにありがとう。