YAMADA IRONWORK'S 本文へジャンプ
原爆の火

文字サイズを変える
文字サイズ大文字サイズ中



原爆が投下されたあと、火の海と化した広島を訪れた僧侶がいた。
廃墟となった寺院から火を拾い 燃やし続けた。
それが “原爆の火” 。
その火は、いまも 福岡県星野村で 燃え続けている。
この世に二度と同じ悲劇を起こさない という願いの象徴として・・・



わたしは、映画 『GATE(ゲート)』を観るまで この火の存在すら 知りませんでした。
このドキュメンタリー映画 『ゲート』 は、その火を 破滅の輪が最初に口開いた 爆心地・アメリカニューメキシコ州の “トリニティサイト” へ還し そこで消しさることで、憎しみ・復習の負の連鎖を断ち 永遠に眠らせたい と立ち上がった僧侶たちの、2500kmの祈りの行脚の記録です。


先日、この春にベトナムホーチミンの視察旅行でご一緒した 宮本規由さんが 訪ねてきてくれました。
引っ込み思案のわたしは 行動派の彼から学ぶものが多く、その日も 延々8時間も話しこんでしまいました。

その時、彼が 広島・長崎の原爆投下について 最悪の非戦闘員無差別虐殺だと 憤りをもって話していたのが、彼の意外な面をみたようで 印象的でした。

実は わたしも、この映画を観るまでは、あの原爆投下を 「長期的に見れば より多くの人命を救う結果となったのだから。 それに ソ連などと分割統治されないで済んだことを喜ぶべきだ」と 肯定的に論ずるような風潮に ムラムラと怒りを覚える一人でした。

正確な情報を知ろうともせずに、わたしは ある一枚の写真を どうしても許せませんでした。
広島を焦土と化した あの 「リトルボーイ」の弾頭や腹に 自分らの名前を落書きし、笑いながら記念写真を撮っている将校たちの映像です。

憎しみや復讐心は、相手の正確な状況に対する判断を誤らせ 猜疑と誤解を生んで相手を貶め それは再び憎しみと復讐となって返ってくることを、仏教では 「因果は巡る」 と諭しているのです。


2005年7月、帆船 「日本丸」 でサンフランシスコ港に着いた原爆の火は、三人の僧侶の手に託されて、世界最初の原爆実験の場所である ニューメキシコの トリニティサイト “グランドゼロ” まで、摂氏50度を超える炎天下 砂漠や山々を越え 多くの町を通り 最初はいぶかしげな 次第に好意的な 最後には心からの声援を受けつつ、23日間(それは最初の原爆実験が行われた7月16日から 長崎が被爆した8月9日までの日数)の間に 2500kmの旅をします。

それは、奇跡に近い 祈りの旅でした。

三人の僧侶のひたむきな行脚の旅を通して見えてきたもの、僧侶たち自身にも また スクリーンを通して 彼らとともに2500kmの旅を追い続ける観客のわたしにも 見えてきたもの、それは、原爆を投下した アメリカの国民自身も 一部には人体的に 多数には心理的に 原爆の被害者ではないか、そして、平和を求める心は、日本人もアメリカ人も そして千羽鶴をトリニティサイトのゲートまで届けてくれた ロシアの子供たちや あらゆる国の人々も 同じなんだ、という 確かな実感。


この60年、広島の原爆記念日が巡ってくるたびに繰り返されてきた抗議行動は、トリニティサイトの厳重なゲートを開かせることはできませんでした。
しかし、この僧侶たちの 原爆の火の因果を閉じてこの世から二度とあの被爆の惨状を出さないという ただひたすらな祈りは、ホワイトハウスをも動かす強い力となって、開かずの “ゲート”を 開かしめたのです。

映画のこの場面に至って、わたしは初めて その題名 『ゲート』の意味を理解しました。
いかなる抗議よりも、平和を希求するひたむきな祈り なのです。

トリニティサイトのゲートが開かれたシーン、感動しました。
ゲートを潜れる限られた人数とはいえ 人種や宗教や政治の違いにかかわらず 原爆の火を消したいと願う人々は、 トリニティ実験跡地の記念碑の前で 長崎に原爆が落とされた同じ日に 福岡県星野村で60年間燃え続けた原爆の火が僧侶たちの厳かな しかし実に簡素な儀式によって 静かに消えていくのを 見守り続けました。



核兵器解体基金というのがあるそうです。

世界中の核兵器廃止に賛同する人々からの募金を基金として、世界に散らばる核兵器を買い上げ それを解体し、 鋳直してブレスレットなどのアクセサリーにして 献金者に還元する、という運動です。
理性的で合理的な核兵器廃止運動の方法だと 思います。

でも、目的は同じなのですが、原爆の火を閉じようと2500kmを行脚した僧侶たちの方法とは、根本的に違うように わたしは考えます。

行動を起こさないわたしには こんなことを言う資格はないのですが、ただ、核兵器解体基金では 「負の連鎖」を断ち切ることはできないのでは と思うのです。

原爆の悲惨さを 文字通り 身をもって体験したのは、日本国民だけです。
その日本国民の 核兵器廃止を訴える方法が 抗議行動や理詰めの論駁では、あまりにも哀しすぎます。

彼ら僧侶たちが 50度を越える真夏の太陽にも絶えられたのは、原爆の熱風で死んでいった親たちの世代の苦しみを 心底理解しようと努めたからでしょう。

この世に二度と同じ悲劇を起こさない という願いを叶えるには、その祈りの輪を 平和を希求する 世界の人々と共有すること。
そのことを、映画 『ゲート』は 語りかけています。


原爆の火を燃やし続けている日本は、その火を消すことができる もっとも近い存在なのです。