| テミスの不確かな法廷 |
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NHK火曜ドラマ 「テミスの不確かな法廷」 が、今月10日に最終回を迎えた。
発達障害を抱えた裁判官の正しくありたいと願う判事行動を描く、直島翔原作小説をドラマ化したものだ。
第一話から興味を持ってみていたが、この最終話、ことに、再審請求判断を下す前橋地方裁判所の法廷で三人の裁判官が再審請求についてひとりひとり思うことを話す場面を、ビデオで何度も何度もみた。
主人公の特例判事補 「安堂清治」 役を演じる松山ケンイチが語る告白に近い思いを一言一句聞き漏らすまいと、何度も何度もみた。
発達障害を抱える少年時代の嘆きを簡潔に述べた後、安堂はこう語った。
・・・そんなときに六法全書を手にとる機会がありました。
ここには社会の約束事が書かれていました。
生きていくための教科書だと思いました。
法律はあたりまえの日常を守る約束ごと、私はみんなの普通を守るこの仕事に興味を持ちました。
私も社会の役に立ちたい、必要とされたい、そう願いました。
ずっと自分の特性を隠して裁判官の仕事を続けてきました。
そのことで周囲に迷惑をかけています。
この仕事を私は続けていいのか。
辞めたくなったり辞めたくなくなったり、迷いながら続けています。
続けたいと思っています。
みんなの普通を守るこの仕事が好きだからです。
司法に携わる方々はどうしてその道を志したんでしょうか。
きっと一人一人に違った理由があるんじゃないでしょうか。
ただ、一つだけ共通の思いがあるのではと思います。
正しいことをしたい、正しくありたい。
前橋一家殺人事件、警察は必死に捜査を行った、検察は必ず起訴に持ち込むことを期待された、裁判所も罪に対する厳正な罰を下すことに徹した。
誰もが正しくあろうとした。
ただ、個人の思いや正義、倫理観は組織の理屈で簡単に塗りつぶされてしまいます。
一人一人が正しくあろうとしても、間違えてしまうこともあります。
司法が無実の人を殺した、それは同時に真犯人が野に放たれることを意味します。
そして更なる悲劇が起こる。
司法界が犯した罪、私は怖いです。
怖くて怖くてしかたありません。
起きてしまった事実に委縮し、思考が停止してしまいそうになります。
でも、だからと言って、真実から目を背けていいんでしょうか。
目を背けたら、何が本当のことか、わからなくなります。
分からないことを分かっていないと、分からないことは分かりません。
分からないことを分からないと、分からないことは分からないんです。
分からないといけない、何があったのか明らかにしないといけない、社会の約束が破られるなら、何を信じて生きていけばいいんでしょうか。
法律は、ゆるぎないものでなくてはいけない。
信頼を取り戻すために、信頼を失墜させる覚悟を持たないといけないと思います。
起きてしまったことは変えられない、そこから始めるしかない、そこから始めるしかないんです。
すみません、うまく言えません。
でも、今の私の心の中にある、すべての言葉です。
安堂が思いのたけを語ったあと、裁判長(遠藤憲一)は判決を言い渡す前に、こう述べた。
私がいろいろ話そうと思ったんですけども、何も話すことがなくなりました。
ただ、安堂裁判官の言葉を聴いて、あたりまえのことを強く思っております。
再審請求は、開かずの扉であってはいけない、救済の扉でなくてはいけないと。
本件、再審請求は、再審開始で一致しました。
これから再審審議がどうなるか分かりません。
ただ、起きてしまったことに私たちは、真摯に向き合う覚悟です。
今この日本で起こっている法曹界のできごと、再審裁判の現実を、ドラマという架空の物語で暴いた。
そういう意味だけでなく、発達障害という特性を隠して 「普通」 であろうとする安堂の苦悩にも共感を抱く。
優れたドラマであった。
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