| プレイルームの丸窓 |
| 文字サイズを変える |
  |
当社は現在の久御山工場の前、御池通り御前西入る北側に在った。
御池通りの歩道に面した境界を長辺とする長方形の土地に、工場と事務所棟が在った。
建物は、社寺建築を得意とする中堅建設会社の松井建設が建てたもので、私たち家族は事務所棟の2階と3階に住んでいた。
3階の南側、御池通りに面して 「プレイルーム」 が在った。
この名は松井建設の設計技師・佐藤さんがつけたもので、子供たちの遊び部屋の意味だったと思う。
狭かったからか、子供たちがここで遊ぶことはほとんどなく、いつの間にか私のささやかな書斎となった。
大きな丸窓があった。
外側に大きく凸になったガラス窓で、頭を凸部に突っ込むようにして外を眺めるのが息抜きのひと時だった。
歩道との境界の植え込みが丸窓のちょうど下にあった。
山茱萸が早春、葉の茂る前に黄色い花を咲かせ、山茱萸の後に植えたアーモンドが春先、桜に似たピンクの可憐な花をつけ、アーモンドが枯れた後に植えた柘榴が初夏、真紅の花を咲かせ秋の深まりとともに大きくなった実は晩秋、真っ赤に熟す。
柘榴の隣に植えたフェイジョアが梅雨時、白い花弁に鮮やかな赤色の長い雄蕊の愛らしい花を咲かす。
凸面ガラスから眺める外界の景色は、これら花の咲く木々を近景に、御池通りを行き交う人や車を中景に、青空や曇り空ときには雪空を遠景に、季節や天候や朝昼晩、その時々に変貌していった。
まるでトンボの目でみるようだった。
あのプレールームの丸窓は、私の30歳台後半から40歳台50歳台60歳台を通覧する覗き窓だったのかも知れない。
|
|