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思い出

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「思い出は一人で抱くものではなく誰かとわかちあうもの。」
きのう(’24年5月20日)の朝日新聞 『折々のことば』 に、こう記されていた(シドニー・スミスの絵本 『ねえ、おぼえている?』から)。

ほんとうに そうだと、思う。
ひとりでは、思い出は作れない。
あのとき ああだったね と 語り合う人がいなければ、「出来事」 は 「思い出」 にならない。
たとえ 「いやな出来事」 でも、話して 「そうそう、そうだったね」 と返してくれる人がいれば、「思い出」 になる。
「そうそう、そうだったね」 と返してくれる人がいなければ、その 「出来事」 は 単なる出来事に過ぎず、流されて いつのまにか消えてしまう。

去年の10月、幼友達とふたりで 安乗岬を訪ねた。
このブログに 先に 『安乗岬灯台』 という表題で投稿したら すぐに彼からコメントが送られてきて、何回かのやり取りの末 じゃあ安乗岬へいっしょに行こうや ということになった。
小学校・中学校のころ ふたりで何度か行ったことのある安乗岬へ、65年ぶりに訪ねたのだ。

あいにくの雨模様で 岬をおとずれる人は少なく、白く四角い安乗岬灯台は ふたりで独占できる状態だった。
雨脚が激しくなり、安乗岬園地休憩舎で 一休みした。
客のまばらな店内、灯台を正面に眺められるスタンド座席に ふたり並んで坐る。
大きな窓ガラスに雨がうちつけているものの、見通しは悪くない。
ここの名物の 土産用の 「きんこ芋」 をつまみにして、ドリンク一杯で小一時間ほど 語り合った。



その幼馴染の、突然の訃報。
小学校のころ、中学校のころ、ふたりで見た、白く四角い灯台。
ついこの間、ふたりの目の同じ方向に佇んでいた、白く四角い灯台。
もう ふたりで、あの灯台を話題に 語り合うことはない。
ふたりの思い出は、消えた。