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「おシャカ」 と 「ご命日」

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父は、明治41年生まれです。
私が46歳のとき、83歳で亡くなりました。
叩き上げの職人でした。
材料の乏しい時代に ものづくりを生業にしたからでしょうか、父は、材料を粗末に扱うことをとても嫌いました。
棚に上げられない長尺のものや重量ものは 床に置いて保管したいましたが、幼い私が それを跨いで通ったことがありました。
大声で叱られましたが、叱られた記憶は そのときだけです。

ものづくりで 不良品を出すことを、「おシャカにする」 と言います。

工場の若い職人さんが おシャカを出しても、父は叱りませんでした。
ただ、おシャカになった製作途中の品物を 絶対に捨てさせませんでした。
そして、おシャカにした本人のロッカーの上に 置いておくように命じました。
長尺ものの 「おシャカ」 も、です。
だから、ロッカーの天板は撓って そして転げてきそうで、とても危険でした。
新人職人さんが増えてきて ついに、材料棚の横に 「おシャカ棚」 ができました。
おシャカ棚の不良品を見て、若い職人さんたちが どう感じていたか、少年の私には 関心外のことでした。
覚えているのは、おシャカにした若い職人に対して 指導していた言葉です。
「鋸盤のスイッチを入れる前に、三度、サシ(ものさし)を当てるようにせい!」

幸田文の作品に、『木』 という、文庫本にして150ページ少々の作品があります。
この中の 「材のいのち」 というエッセイに、堂塔古建築で知られた棟梁親子、父の西岡楢光(ならみつ)、長男 常一、次男 楢二郎が登場します。
著者が西岡三棟梁から一番に教わったことは、"木は生きている" ということでした。
大工さんのいう "木" は立木ではない。
立木としての生命を終わったあとの "材" をさします。

法隆寺の大修理の終盤、著者は斑鳩に移って、一年余り 仮住まいをしていました。
ある日 弟棟梁の楢二郎が、著者の仮住まいをたずねてくれました。
「今日の話は、どうも縁起のいい話じゃないと思うので、しようか、しまいかと考えあぐねているのだが・・・」 という。
なんの話かときいたところ "木の死んだののことです" という。
どんな良材、強材であろうと木には寿命があり、寿命がつきれば死ぬ。寿命を使いつくして死んだ木の姿は、生きている木にはない、また別の貴さ、安らかさがあって、楢二郎は たまらなく心惹かれるという。
もし縁起をかまわないのなら、木の死んだのも見ておいてもらいたい。生きている木ばかり見せておいたのでは、片手落ちなわけで、生きても死んでも、木というものは立派だ、と知っておいてもらいたいし、一度それを見ておけば、きっとあなたの何かの役に立つと思う、という。

当然、著者 幸田文は 翌日、さっそく見せてもらいました。
生きて役立っていた時の張りや力をすっかり消して、その代わりに気易げに、なんのこだわりもなく鎮まっているので、自然の寿命が尽きるというのは、こういう安息の雰囲気をかもすものなのだろうかと、著者は気付きます。
そして、楢二郎の話したことの意味、さらに西岡三棟梁から一番に教わった "木は生きている" ということの滞りが、解けたのです。

著者は、楢二郎から こんな話も聞いていました。
若い大工さん仲間には、"刃物を入れたら、ご命日" という笑い言葉がある。
間違って切ったが最後、もう処置なしだというのである。
熟練した大工でも、"大工は毎日、ご命日の心配しながら仕事をする" というのです。

この話から 私は、「おシャカ」 と同じだ、と思いました。
そして、西岡三棟梁には もちろん及ばずとも、父が材料を大切に思う心は 棟梁たちに通ずるものだと、解けたのです。


「ご命日」 と 「おシャカ」、どちらも いい言葉です。
ちなみに、長男棟梁 常一は、私の父と同い年、次男棟梁 楢二郎は、5歳とし下です。