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やがて死ぬ けしきは見えず 蝉の声

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大学に入って 最初の夏休みだったと思う、母と二人で 高野山に入った。
数少ない 母と二人の旅であった。

どこの宿坊に泊ったのか、どんなルートで高野山に入ったのか、まったく覚えていない。
朝、奥之院へ続く参道を歩いていた。
頭上から 耳をつんざく蝉の声が降り注いでいたのを、鮮明に記憶している。
「蝉しぐれやなぁ」 と、母がポツリと言った。
蝉しぐれ、初めて聞く言葉だったが、一生忘れない言葉となった。

あの時 もう一つ、一生忘れない言葉を反芻していた。
前夜 眠れぬまま読んだ、石坂洋次郎著 『ある日わたしは』 の中に記されていた句である。
その後 その句は芭蕉が詠んだものと知るのだが、あの時は、その句の深い意味も解釈も知らぬままに スーッと頭に入ったのだ。
   やがて死ぬ けしきは見えず 蝉の声

あの時から61年後の今、蔵書の整理をしていて 昭和38年発行の角川文庫 『ある日わたしは』 を見つけ出した。
シミだらけの頼りない紙にポイントの小さい文字で書かれた文章を 今、眠れぬ夜中 起きだして 読み返している。
196ページの 芭蕉のあの句が引用されている部分に、鉛筆で黒々と 傍線が引かれている。

出会ってから61年後の今、この句の意味とかが おぼろげながら理解できるような気がする。
いや、出会った61年前 すでに感覚として、鮮明に理解していたのかも知れない。
   やがて死ぬ けしきは見えず 蝉の声