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150年前、浦上四番崩れという事件があった。 カトリック信徒への 惨たらしい弾圧事件である。 いつの時代も、戦場だけでなく 集団となれば、あるいは権力をもてば、何をしでかすかわからないのが人間である。 そのことを如実に示す事件であった。
長崎港から西へ100km離れた五島列島にも、崩れの狂気が吹き荒れた。 世にいう「五島崩れ」である。 それは、久賀島から始まった。 大小140あまりの島々が連なる五島列島の、真ん中あたりに浮かぶ島。 1000個分の甲子園球場くらいの面積の、北に狭く口を開けた湾が深く食い込む、馬蹄形の島である。
この湾の奥底の松の浦で、42名もの死者を出す過酷な拷問が繰り返された。 わずか6坪ほどの牢屋に、200余名のキリシタンが押し込められた。 なんと 畳一枚に15人以上が、8か月間 閉じ込められたことになる。 多くは、人の上にせり上げられて足は地に着かず、身動きすらできない状態で、飢えと渇きと蛆虫にさいなまれて死んでいった。 これをのちに、窄殉教(さこじゅんきょう)と呼んでいる。 松の浦には いま、牢屋の窄殉教記念聖堂が建てられている。
迫害を乗り越えた久賀島の人々や子孫たちは、禁教の高札撤去後、貧しい生活の中から、金銭面や労力奉仕の犠牲を払って、念願の「天主堂」を建てた。 島の玄関 田ノ浦港近くにある、明治14年建立の『浜脇教会堂』である。 この教会堂は 老朽化に伴い、昭和6年、真っ白な鉄筋コンクリート造りに建て替えられた。 そして 旧教会堂は、東海岸の 車の通る道すらない わずかな平地の集落、五輪(ごりん)地区へと移された。 それは、五輪地区の信者たちの たっての願いであった。
この木造平屋の小さな「天主堂」は いま、たった2軒の五輪集落に、森の木々に隠れるように、『旧五輪教会堂』として、ひっそりと佇んでいる。 数ある五島の教会堂の中で、この教会堂を、私はいちばん 崇高に感じ入っている。 海上タクシーで訪れた、30年ぶりの再会であった。
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