文字サイズを変える |
|
コロナに感謝するなど さらさらないのだが、引きこもりの無聊を紛らわすために 立ち寄った本屋で見つけた「キネマの神様」。
コロナのおかげで巡り合えた「キネマの神様」は、原田マハ著の文春文庫である。 寝る間も惜しんで、読み切った。 映画好きだからかも知れないが、こんなに引き込まれて読んだ文庫本は 最近お目にかからない。
ことに「映画は映画館でみなきゃぁー」を主張し続けている自分にとって、この本で万人の味方を得た気分である。
小学生のわたしの「キネマの神様」は、京都宝塚劇場にいた。 六角河原町北西角にあった京都宝塚劇場は、いまはない。 いまは、雑居ビル「ミーナ京都」になっている。 昭和27年、GHQに接収されていた京都宝塚劇場(京宝)は、洋画ロードショー劇場として 再オープンした。 映画好きだった母に連れられて わたしは、一か月に一回は 京宝で封切洋画をみていた。 わたしの楽しみは、まだよくわからない映画よりも、帰りに寄る「不二家」で エビフライを食べることであった。 当時 ペコちゃんの「不二家」食堂は 京都市内に二軒あり、四条木屋町北東角と三条河原町南西角にあった。
京宝で封切洋画をみて 帰りに三条河原町南西角の二階の「不二家」食堂でエビフライランチを食べること、これが 月一の 待ち遠しいお楽しみコースだった。
学年が上がるとともに、月一の洋画が おもしろくなっていった。 あの頃にみた 記憶に鮮烈に残る映画タイトルのみ、列挙してみる。 『折れた矢』、『裏窓』、『波止場』、『エデンの東』、『ホワイトクリスマス』、『慕情』、『これがシネラマだ』、『十戒』、『眼下の敵』、『OK牧場の決斗』、『めぐり逢い』、『戦場にかける橋』・・・ これらはすべて ハリウッド映画であり、あの時代・50年代のアメリカを象徴している。 大戦終結がもたらした 安息と平和への希求、その裏に潜む やり場のない若者たちの怒りや焦燥。 そのシンボルが、ジェームス・ディーンであり マーロン・ブランドだったのだろう。
日本の優しさや弱さに似たイタリア映画に わたしが目覚めるのは、もう少し 大人に近づいてからのことでる。
文庫「キネマの神様」で取り上げられている洋画は、わたしが京宝でキネマの神様に抱かれていた頃から 30年以上経って作られた作品だ。 ここで取り上げられた作品の代表は、『フィールド・オブ・ドリームス』であり 『ニュー・シネマ・パラダイス』である。 どちらも名作だが、なにかもの足りなさを感じる。 30年という時間の「格差」を感じる。 『フィールド・オブ・ドリームス』をめぐる ゴウちゃんとローズ・バッドのブログ応酬は 興味深々で、どちらにもウムウムと頷ける。 しかし この映画からは、わたしの知るハリウッド映画が醸す アメリカン・ドリームが伝わってこない。 アメリカがかざす理想、理念、信頼、希望、誇り……これらを過去の栄光として懐かしむ 夢物語の映画みたいなのだ。 『ニュー・シネマ・パラダイス』を、ゴウちゃんとローズ・バッドは ともに「人生最良の映画」と位置付けた。 うまい構成であり、これが この文庫のハイライトなのだが、ハイライトにするだけの凄みが イタリア映画として この映画に足りないように感じる。 わたしの頭にあるイタリア映画の凄みは、ピエトロ・ジェルミの『鉄道員』であり 『刑事』に属している。 もっと古くは、『自転車泥棒』に宿している。 『ニュー・シネマ・パラダイス』は、平和ボケした ほんわか娯楽に流れているように思えるのだ。
著者・原田マハさんとわたしの年齢差 つまり生きた時代の違いに、由来するものであろうか。
いずれにしても、原田マハ著「キネマの神様」は、ゴウちゃんと同様、自分の最も好きな映画を通して 老いた頭の「よみがえり」に最適の文庫であった。
|