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サンティアゴ・デ・コンポステーラで 自分へのみやげに買った栞に、ホタテ貝の貝がらの絵が描かれています。 いま読んでいる文庫本に、それは挟まれています。 なんで ホタテ貝なのか、ずっと わかりませんでした。
三回に分けて放映の BSプレミアム「聖なる巡礼路を行く~カミーノ・デ・サンティアゴ1500km~」を 先日みて、その意味がわかりました。
キリスト教の聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラを、徒歩で目指す旅「サンティアゴ巡礼」。 目的地コンポステーラに到着した巡礼者は、そのまだ先を さらに西へ目指します。 大西洋を望む最果てのフィニステレ岬で、ホタテ貝の貝がらを拾うためです。
ホタテ貝は、巡礼達成の証だったのです。
この番組を 50歳代でみていたら わたしも、この巡礼に挑戦していたかも、などと空想します。
この番組の最終回、サンティアゴ大聖堂広場に到着した巡礼者たちは、「やったわね」と 抱き合って巡礼達成を悦び、「また巡礼に戻ってくるだろ?」「もちろん」と誓い合う。
ここで わたしは、少し違和感を持ちました。 それぞれの巡礼者たちは 「日常」に疲れ果て、それぞれ やむに已まれぬ事情から 巡礼を思い立ち、苦難の1500kmを踏破しました。 日常の打破、かも知れません。 それでも 彼らの軸足は、あくまでも「日常」であるはずです。
あって欲しいです。 彼らを 映像を通して眺めていると、ひょっとして 巡礼が目的化してしまっている? と思えてしまいます。
少し怖いです。
もし わたしが50歳代でこの巡礼に出ていたとしたら、映像で見る巡礼者たちと 同じ境地に嵌まっていたかも知れません。
この巡礼に いまもし わたしが出るならば、それは 行き倒れ死を覚悟のうえでなければならない、そう強く思います。
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