YAMADA IRONWORK'S 本文へジャンプ
新美南吉のかなしみ

文字サイズを変える
文字サイズ大文字サイズ中



これまで75年を生きて わたしは、いい友達に恵まれた。
けっして多くはないが、こころの通う友人たちである。
もう鬼籍の人もいるが、彼らに共通するものがある。
最近、そのことに気付いた。
それは、彼らがみな 新美南吉のかなしみを理解できる人たちだ ということだ。
実際に 彼らが、新美南吉を承知しているかどうかは 別にしてである。

新美南吉のかなしみ とは、彼自身が最晩年に書き残している。
それは、「よのつねの喜びかなしみのかなたに、ひとしれぬ美しいもののあるを知っているかなしみ」である。
彼岸花の美しさ、と言えようか。

もう一月もすれば、この殺人的猛暑も やわらぐことだろう。
そして きっと彼岸花が、田んぼの畔や河原の土手伝いに 咲くことだろう。
彼岸花が咲くと わたしは、新美南吉のかなしみを思う。

この年になると、喜びより 悲しみが、似合うようになる。
悲しみは、思うほど つらいものではなくなってきた。
それが、似合う ということなのだろう。

新美南吉のかなしみを ほんとうに理解できる人間になることが、いまのわたしの 生きる意味である。