草原の記 |
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もう ずいぶん前になる。 NHKスペシャル「街道をゆく モンゴル紀行」で、坂妻の長男 田村高廣が朗読する『草原の記』に 強く心を打たれた。 田村高廣の美しく柔らかい語り声が モンゴルの大草原を走る馬の映像に乗って、まるで抒情詩を聴くごとく 誇り高く伝わってきたのだ。 もう これは『草原の記』を読むしかない、そう思った。 ところが その後 雑事に追われて 日々が過ぎ、司馬遼太郎の『草原の記』は わたしの頭から忘却された。
終活の年齢になって、あふれかえる本棚の整理に 意を向けるようになった。 処分する本と残す本との峻別を下さねばと 本棚に向かうのだが、これが なかなか難しい。 大した蔵書でもないのだが、遅読のわたしは 蔵書の一割も読破していない。 読みかけ分を引いても、約8割が 未読書である。 峻別前に 本に対する最低の儀礼として 一度は目を通さねばと 読みだすのだが、どの本も残す価値がありそうで 峻別なんぞ 至難の技なのだ。
ことし8月に亡くなった劇作家 山崎正和の本が、数冊ある。 そのうちの一冊『歴史の真実と政治の正義』という本の 巻末の方に、「風のように去った人ーー追想・司馬遼太郎」という一文があった。 この中に、「私が愛してやまない司馬さんの傑作は『草原の記』・・・」とあった。 20年以上も前に心を打たれた 田村高廣の朗読が、鮮やかに蘇った。 もう こんどこそ、『草原の記』を読まねばならない。 未読書の山から『草原の記』を引っ張り出して、二日間で読み上げた。
『草原の記』には、二人の人物が 主題的に描かれている。 二人は まったく異質の、しかし典型的なモンゴル人である。 ひとりは オゴタイ・ハーンという歴史上の英雄で、モンゴル帝国の版図をヨーロッパまで広げた猛将である。 もう一人の主人公は ツェベクマさんと呼ばれる通訳で、現代の無名の女性である。 どちらも、どこか歴史と無関係に生きているという 強烈な印象を与える。 誤解を生むことを承知で言うと、歴史を支配することについて まったく無欲なのである。 これは、モンゴル民族の伝統的な精神の特徴であり、たぶん 司馬遼太郎の好む精神である。
わたしは、この本の出だしが 大好きだ。 まるで 作者の心奥にある詩を、抑揚のあるリズムに乗って 歌い上げているのだ。 蛇足ながら、以下に それを引用する。 空想につきあっていただきたい。 モンゴル高原が、天にちかいということについてである。
そこは、空と草だけでできあがっている。 人影はまばらで、
そのくらしは天に棲んでいるとしかおもえない。
すくなくとも、はるか南の低地にひろがる黄河農耕文明のひとびとからみれば、
おなじヒトの仲間とはおもえなかったろう。
しかも、馬にじかに乗っている。 騎乗して風のように駈け、満月のように弓をひきしぼり、
走りながら矢を放つ。 --あれは、人ではない。 と、紀元前、黄河の農民はおもった。 ・・・
「司馬さんは けっして私小説風に自分を語らない作家である」と、山崎正和は評している。 私小説とは いうまでもなく、作者が直接に経験したことがらを素材にして ほぼそのままを「露骨なる描写」によって書かれた小説である。 日本における自然主義文学は、私小説として展開された。 本来 客観描写であるべき自然主義文学は、日本では 現実を赤裸々に描くものと解釈された嫌いがある。 四度の自殺未遂や心中未遂をおこし 五度目で生涯を閉じた太宰治の小説は、その典型であろう。 司馬文学は、こういう私小説の対極にある。 わたしが司馬文学を好む理由も、ここにある。
とはいうものの『草原の記』は、司馬遼太郎の心の故郷というべき場所であるモンゴルが舞台であり、この作品はたぶん初めて、自分の魂の故郷について 思いのたけを存分に語った作品であろう。
そういう意味でも『草原の記』は、司馬文学の最高傑作ではなかろうか。
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