『生きるぼくら』 |
文字サイズを変える |
|
東山魁夷の作品に、「緑響く」という 幻想的な絵がある。 東山の愛した信濃の、蓼科高原にひっそりとある 御射鹿池(みしゃかいけ)。 カラマツやシラカバの生い茂る青味がかった林を 右から左に横切る白馬と、それらを映す静かな湖面が、描かれている。
唐招提寺御影堂障壁画制作のため、昭和47年 東山は、鑑真和上の生涯や唐招提寺について研究し、御影堂障壁画の構想に没頭した。 画面上を駆ける白馬は、この一年間の作品にだけ 見られる。 東山は のちに、自らの「祈り」の現れであろう、と述べている。
この「緑響く」に発想を得て、キュレーターの経歴を併せ持つ作家・原田マハは、彼女の作風と一味違う とびきり上質の作品を生み出した。 『生きるぼくら』、これが その題名である。
若者の いじめ、不登校、引きこもり、親世代の 借金、離婚、病死、そして 老人の 孤独、認知症。
これら 現代社会が抱える さまざまな問題の 解決につながる有力な希望を、作家 原田マハは、この本に示してくれている。 その希望は 具体的に、八ケ岳の西麓 蓼科高原の風景と、米作りという もっとも根源的に日本的な労働作業を通して 得られるかも知れない、と。
父親の失踪から始まった 麻生人生(あそうじんせい)の「不幸な人生」は、母親の家出を契機に尋ねることになった 父の故郷の蓼科の風景と そこに暮らす人々の温もりに包まれて、「幸福な人生」の予兆と自信で 締めくくられる。 蓼科の風景 その具体的場所が、人生のばあちゃんがいちばん好きな場所、東山魁夷の「緑響く」池、御射鹿池である。
あれから、いろんなことがあった と、人生は 振り返る。 働いて、米作りして、ばあちゃんと つぼみ(血のつながらない妹)と暮らしてーーー気が付くと、がむしゃらに生きていた。 周りのあたたかい人たちに助けられて、どうにか前を向いて歩いてきた。 もしも自分ひとりだったら、ここまでくることはできなかっただろう。
人生が送るメールの件名は、「生きるぼくら」だ。 介護施設の清掃作業に出勤する前と後に欠かさず田んぼに出る、人生。 自然と、命と、自分たちと。 みんな引っくるめて、生きるぼくら。 田んぼを眺めていると、自分が、この小宇宙の輪の中にすっぽり入っているんだ という感覚になる。 稲も ミミズも カエルも、そして自分も、みんな生きている。 生きることをやめない力を持っているんだ。 生きるぼくら、このフレーズは、ふっと手を伸ばして、人生の心の表面にそっと触れたのである。
『生きるぼくら』、この本は わたしの「私の大切な15冊の本」の一つになった。
|
|